「約束された場所で」(村上春樹)----神田美由紀の「純粋さに排除された現実」

村上春樹の「約束された場所で」を読んで、一番印象的だったのは、「神田美由紀」と呼ばれる信者の話である。彼女は、現世に殆ど興味を持つことが出来ない。かといって、格別の悩みや苦しみがあったというわけでもない。真理の追究に渇望していたわけでもない。村上春樹に言わせると、


この人にとってオウム真理教というのは、理想的な「容れもの」であったのだなと納得してしまう。

問題はこういう人たちを受け止めるための有効なネットが、麻原彰晃率いるオウム真理教団の他には、ほとんど見当たらなかったということにある。そして結果的に見れば、そのネットはたまたま巨大な悪の要素を含んだものだったということにある。結局のところ、単純な言い方をしてしまえば、楽園などというものはどこにもないのだ。


ところが彼女の場合、淡々とした語り口に反して、兄弟3人で世田谷道場を見に行って、その場で3人とも入信してしまう。その後はずっとチラシ折り、そして「お供物づくり」つまり、サマナのための食事作りに従事する。そして、そこでずーっと朝から晩まで食事作りばかりをやっていて、メニューのことばかり考えている。強制捜査のときにも「お供物づくり」をしていて、ほかの事は何も知らない。何が起きていたのかも知らない。


あなたはずっと第6サティアンにいて、この事件前後に、まわりで何か異様なことが起こっているという感じを受けたことはありませんでしたか?

ありませんでした。私は、ずーっと第6サティアンでお供物作りをしていましたから、そういうのを聞いたこともありませんし、目にしたこともありません。


その後彼女は両親からお金を出してもらって、パン屋を始める。彼女の両親は易々と兄弟3人のオウム入信を許し、その後は娘のためにパン屋の資金援助までしているのである。

ちょっと可愛らしいんですけれど、「空飛ぶお菓子屋さん」という名前でスタートしたんですが、マスコミの報道によってつまづいてしまいました。


店の名前がマスコミによって出てしまい、パン屋はサマナと信者以外には売れなくなってしまった。それも彼女はちょっと残念そうに語るだけなのだ。悪いのはマスコミであると思っている。

地下鉄サリン事件に関しては

じゃあ、判断は最後まで留保し続けるということですか?

まあやった可能性がゼロだと言っているわけではないですよ。でも今の段階では(取材当時)はっきりと決めるのは早すぎるということです。もうちょっとしっかりとした事実が出てこないことには、自分の中で納得できないです。


と言っている。奇妙な現実感の無さは、当初からオウム真理教の信者や、元信者に対して言われていたことであった。彼らが、もう一度凶悪犯罪に手を染めるという可能性がある、ないの次元ではなく、この現実感の無さが私たちの前に立ちはだかる。そうなると、そこから先には一歩も進めない。おそらく善良そうで快活な(ということである)神田美由紀を見て、誰が殺人教団のメンバーだったなどと定義できるだろうか。責めることができるだろうか。
彼女はもう、そこのところは自信さえ持っているように思える。


もっとも、村上春樹は、こうした「現実感のない」神田美由紀に対して、臓を貫くような非常に厳しいフレーズを、放っている。


動機の純粋さというものについて考えるとき、現実はひどく重くなる。純粋さに排除された現実は、どこかで復讐の機会を狙っているようにさえ思える。美由紀さんと話していて、ふとそう考えてしまった。