FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(7)

民主党懇談会について】

BB「懇談会が、実際には工作の場になんかなり得なかったのは、松永さんも僕もあそこにいましたから。笑
あんな状態ですから、民主党も。それはわかっているわけです。でも、それは行ってわかったことで。行く前にどうだったのかと。あの頃はもう脱会はしていないけれど、松永さんの言葉だと「不良信者」だったんですよね?」

松永「そうです。どうやって抜けようかと。例えば、教団にいるときって、通帳も経理担当者に預けなければならないんですね。自分で使えない状態になっていた。それで、1999年頃に「ネットランナー」に書いた記事の原稿料をサイバッチのAさんに受け取ってもらって、プールされていた。これを脱会資金として取り戻したというわけです。」


BB「それは教団にいるときに仕事をした分ですね?」


松永「そうです。そうやって準備していた。それから、懇談会で出した名刺ですけれどね、信者が、偽名の名刺を出すわけにはいかないんです。だからペンネームと入れた。もし入れないで配ったりしたら大変ですよ。私文書偽造であげられる。」

BB「え。そんな例があるんですか?」

松永「何でもやられます。ちょっとした違法行為でもあげられる。ガチガチにされているんです。公安はもう解散させたくてさせたくてしょうがない。だから、出席するという行為は教団にとっても、凄くまずい行為なわけです。」


BB「理屈はともかく、松永さん。失敗しちゃったよね。懇談会なんか来なければ良かったよね」

松永「2個失敗した。1つは懇談会のことと、もう1つは、きっこのことを書いたこと。あれで野田氏に発見された。(苦笑)きっこなんてね、ほんとに関係ないわけでしょう?あれがきっこの件と重ならなければ、記事にすらならなかった。たまたま野田氏が書いたときの、Flashの編集者が河上の読者だったんです。河上おたくで、それで面白いと記事にした。あの記事は誤報ですよ。ほとんどが」


松永「宮崎学氏は公安調査庁と過激派の間での二重スパイをやっていたんですが、野田氏が調査官時代に宮崎学担当でもあった。そのために野田氏が宮崎学氏を完全に敵視し、自分への攻撃に河上イチローが加わっていると思いこんだ。黒崎氏がコピペした内容などは、これは100%こちらは無実の話です。
その遺恨がこのときまで及んでいて、野田氏もFlushの報道後、宮崎学との関係やきっことの係が何もなかったことが判明したので、沈黙せざるをえなくなったわけです。」


BB「そのあたりは私には良くわかりませんが、確かに間が悪かった不幸な面もあったし、きっこだったら凄い騒ぎになっていただろうけれど、あなたに関する記述は、他は概ね真実だった。私にとっては、アレフの現役信者が来ている、それが松永さんだと言うだけで凄くショックだったんですよ。そこの認識があなたとやはり違うような気がする。オウムの出家信者が、個人的な興味でふらふらそういう場所に出てくるとは思わなかった。松永さんに会うまでは。そういう人がああいう場所に来るのは、組織の命令だと思うでしょう。普通はそうです。」


BB「だから泉さんがまずすぐ取材して否定するならすべきだと。で、メールでもずいぶん言ったんですが、彼女はすごく軽く処理しようとした。それで、こちらも何ていうのか、エスカレートしてしまったところがありました。」


松永「確かにそういうこと(懇談会への出席)は普通はしないですね。したらいけない。下手に目をつけられたら潰されるかもしれない。それを教団は今一番恐れているから」


BB「じゃあやっぱりあなたは軽率だったんでしょう?そこは。というか変わった信者だった」

松永「(苦笑)まさか、こんな風に騒がれるとは思わなかったしね」

松「ミドは言い方が悪いので何だかわからなかったと思うけれど、Flashの後、後追いで動いたのが新潮と文春。それが何も出てこなかった。例の弾さんの件とか。さらにミドが新潮とNHKのオウムに詳しい記者を連れてきて(新潮記者はかつてなあぷるについての記事を書いた、あるいみ宿敵みたいな人です)、それで私について調べた結果、「今は教団と関係ない」という結論を出したんです。このへんの話をミドは言っているんです」。


BB「それがクロスチェック?」

松「そう。うまく伝わらなかったと思うけど」

BB「でも、それは(いやまだ疑っているわけではないけれど)新潮や文春、NHKの取材では、決定的な証拠は掴めなかったということで、それが何も松永さんの潔白の理由にはならないんじゃないんですか?報道では何も出てこなかったというだけで」

松「いや、きっこはないですよ。それは彼らは調べたから。すごく」

BB「きっこはいいです。わかってます。そんなことまだ信じているやつはどうかしている。松永さんが懇談会に出席した意図とかそういうこと」

松「公安はね、アレフを潰したくてしょうがない。だから、あの懇談会の件はすごく彼らも食いついた。調べて調べて結局何もなかった。だから年次報告にも何も出ていないでしょう?私が工作したとかそんなことがあったら、書かれますよ。絶対に。」

BB「あそこに出ていないからと言って、疑われていないことにはならないのではないですか?こういったら何だけれど、公安にとっては松永さんといえども多くの脱会信者の1人でしょう?何もあそこにかかれていないからと言って、潔白であるというのは論理的に厳しいのでは?」


松「いや、僕が何かたくらんでいたというなら、絶対に書かれます。あそこに。というか、それを理由に活動停止処分とかまでいってますね。いくら調べても何も出てこないから、あそこには書かれなかった。これだけだけでも証明になるんです」


【泉さんやumeさんとの件】

※泉さんとの出会いの件や、umeさんの退職の件なども話題に上がったが、松永さんもumeさんの退職の経緯については、知っていることは言ったが公開する立場にないいうことで、それ以上の話にはならなかった。また泉さんとの出会いの経緯も、今までに泉さんが説明している通りであり、ここでは割愛します。



【教団との関係】

BB「松永さん、こんな風にしていて危なくないんですか?つまり、教団のいずれかから危害を受けるようなこととか。何だか見ていて心配ですよ。これだけ目立っているというか。すごくマークされていますよね?きっと」

松永「笑。ああ、そんなことは絶対にありません。脱会信者に対して手出しをしたりしたら、もう絶対に公安が動きます。それをやったらアウト。だから手は絶対に出せない」

BB「強引に説得とか、戻そうとかなかったの?」

松永「話し合おうというのは当然ありますけど、強引にやったりしたらアウト。そんなことはできない」

BB「でもわからないじゃない。松永さんだってオウムの全部を知ってるわけじゃないんでしょう?」

松永「気力もなくなるんですよ。24時間監視されていると。危険はないです。それは絶対に」


【松本家の四女の問題について】松永さんが、江川紹子氏の養女になった四女について、どう思っているかという件について、若干伺ったが、これは時がくれば彼がご自分で公開されるだろうし、時節柄微妙な問題でもあり、ここでは伏せる。要は松永さんは、四女の教団への姿勢が急に変わったこと、報道されたような松本家と四女の距離感にについて少々疑問を持っていて、こあたりは、は滝本弁護士とも基本的な事実関係についての認識は一致しているとのことであった。



FLASHの記事は、松永さんから見れば、昔からの因縁を引きずっている野田氏が、きっこと松永さんを妄想で結びつけた「誤報」であり、あのタイミングで記事にする理由は全くなかったということになる。松永英明から見れば、既に教団を出る準備を進行していたのに、たまたま軽い気持ちで行った懇談会と、その前に掲載していたきっこ分析のエントリーを、勝手に結び付けられて、生活をめちゃくちゃに破壊されることになったという恨みが強いように見えた。だが、私には、そしておそらく民主党にとっても、たとえ松永さんがきっこでなくても十分インパクトのある記事だったのだが、当事者とすれば何の「悪意」もない以上、騒ぐ理由がわからない。ということになるのだろう。
「教団の危険性」を警戒する見方(私を含む)に対しても、アレフは既に公安の監視下でガチガチにされているので「絶対に」危険はないと言う。だが、事件前にもしも内部の信者に「あなたの教団は危険ですか」などと聞いても、おそらく同じような答が返ってきたと思う。それでも、あの事件は起きたのだ。松永さんが全てを知っているわけでもないし、もちろん全てに責任を負う必要もない。ただ、彼の視点によれば「危険性は全くない」ということになるだろう。危険でもない教団を過剰に警戒し、信者や元信者の社会的な生活を制約している、法的権利を侵害しているのは、社会であるということになる。その一方で公安調査庁とは、微妙な拮抗関係というか、相互関係が成立しているようにも思える。


ここまでいろんな話をするつもりはなく、1時間ほど様子を伺って帰るつもりが、思いのほか長く話し込んでしまって、その間席も立たずに対応してくれた松永さんに感謝するとともに、体調の悪いところで長い話をしてくれたことに関しては、負担をかけて申し訳なかったと思う。それどころか、松永さんはまだ話し足りない様子であったが、後半に何度か携帯に電話が入った。友人が近くまで来ているということで、ではもう打ち切りましょう。とそれを機に席を立ったのだが、御堂岡氏のmixiの記事を読み、実はこの間に松永さんの連絡が途絶えたということで、大騒ぎになっていたことを知って驚いた。


当日、仕事のスケジュールでいったん対談をキャンセルにしたのだが、思いのほか早く仕事が片付いたので、連絡をして当初の予定通り伺わせていただいた。こうした直前の私の予定の変更で、結果的に周囲に心配をかけたことは申し訳なかったと思う。


それ以外にも、対談の後でいくつかメールで質問を出したが、それはおそらく、近い将来にもう一度公開される「新しい形式の手記」で引き続き書いていかれるだろうと思う。公開できる対談の記録はここまでである。まとめはまた。