「神保町的な」こと


出版社の友人と神保町のある老舗の喫茶店で打ち合わせをして、というかその内容は私的なもので、別に愉快でもない内容だったのだが、彼が帰ってから例によってパソコンを開いてメールを見ていると、店主がことこと近づいてくる。何かと思ったら


「お客様、申し訳ないですが当店はパソコンはご遠慮いただいておりますので」

えっ。と思ったが、僕はこういうときとても素直なので、(本当だ)直ちに謝って反射的にパソコンを閉じた。その間10秒くらいだった。


「知りませんでした。すみません」


すると、この「知りませんでした」に引っかかったのかもしれない。店主がこう言う。


「玄関のところに書いてありますので」


「そうだったんですか。気がつきませんでした。すみません。」(なんて素直!)


店主が離れてから、そういえば友人が来る前にもしばらくパソコンをやっていたことを思い出した。細かなことだが、あのときはなぜ注意しなかったんだろうか。苦々しく思いながらも我慢していたのかな?などと考えていたが、まあ表示を見なかった自分が悪い。それはそれだけのことだ。ここは神保町でも有名な、出版関係者が多く集まる喫茶店で、まあキーボードの音がうるさいということなんだろうな。しかし、あの決め付けの仕方は、絶対に僕は出版関係の人間ではないと見透かされたような感じだなあとぼんやり考えた。

そもそも神保町界隈の出版社の人間って、外でメールチェックとかしないの?この店に限らず、気のせいか神保町界隈では、パソコンを広げているその手の業界の人ってあまり見たことがない。三省堂の2Fにあるカフェもよく行くけれど、自分以外でパソコン広げている人ってあまり記憶がないなあなどとふにゃふにゃ考える。

多くの出版人が不便を訴え始めれば、お客さんの大半がそうした業界の人間であるのだから、この店も変わるだろうなあ。やはり神保町はデジタルよりも活字文化の町なのかなあ。まあ、基本的に神保町なんてそんなに来ないし、まあ関係ないけどな。などとぐにゃぐにゃ。

いや、ここまでは別に怒っているわけでも何でもなかった。店のルールを無視したワタクシが悪いんですから。(はい。そこのお客さん、ACは社会的ルールを無視するくせにヒトには公共を押し付けるとか、滅裂な難癖つけないでくださいね。)ワタクシが悪いんです。悪いんですったら。


で、店を出るとき、何となく木になって・・じゃなかった。気になって、玄関に張ってあるという表示を探した。ない。外に立てかけてある自立式のメニューも見た。ない。意地になるわけではないが、自分が無視したという表示はどんなものか確認したかった。ない。ないぞ。

店を数メートル離れて振り返り、また近づいて確認する。ないじゃないか。これはちょっと戻って参考までにということで、笑顔を保ちながら(ここ大事だ)「いや別にどうということはないんですけれどね。表示ありませんよ。いや剥がれちゃったんじゃないっすかねえ。ハハハハ。」くらいは40代の男として相応の嫌味でも飛ばしておくことが責務か知らん。などと考えてもう一度ドアノブに手をかけた。


「ん?」


視界の隅を何かがよぎった。見るとドアノブの真下に、5センチ四方くらいのきたない紙が貼ってある。で、何だかノミの習字のようなきたない文字のような虫のような・・・あ。


「あった・・」


「当店ではパソコンの使用はお断りしております」


「・・・・・・・・・」


ちっちぇええええええ。


店主よ、なぜ誇りを持ってパソコンの使用を天下に向かって拒むのであれば、もっと大きな文字で堂々と表示を出さないのだ。自信がないのか?どうなんだ?




・・・あ。




このとき、僕の脳裏にちょっと嫌な連想が反射的に浮かんだ。その嫌な感じを説明すると、また難癖だと言われそうだから、具体的に書くことはやめておく。別に神保町の人たちに恨みはないし。ただ、言っておくと、それは僕が店に入って最初にパソコンを広げたときには何も言われず、友人が出て行ってから直ちに注意されたということと、頭の中のどこかで「薄く」結びついているとだけ言っておくけど。不愉快な、直感的な、しかし確信的な「ある仮説」である。(また始まった?もうやめるってば)



「あ。あのちっちぇえ表示写真にとっておければよかったなあ。ブログに出せるのに。でもそれじゃあ店がわかっちゃうからやばいかなあ。」

などと、またいい年をして幼稚な妄想にふけりながら、僕は神保町を後にしたのでありました。


きっとしばらくあの店には行かないと思います。