FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(6)


河上イチロー時代と脱会】


BB「河上イチローの時は偽装脱会だったと御堂岡氏は言っているけれど、本当のところはやはり偽装だったんですか?」

松永「・・・偽装というより・・あれは「分派」。あの頃は、とにかく破防法適用を逃れるために、何でもやろうということだった。オウム流だけではダメというか。いろんな方向を探ろうと。でもやっているうちに僕は夢中になってしまったので、どんどん外れていってしまったんだけれど。破防法をかけられてバラバラになったとしても信仰は保てるように、という話があったのです。


BB「松永さんの名前が削除されているという、公安調査庁に提出されているはずの名簿は見られないんですか?私たちは見られないのはわかりますが、松永さんも見られないんですか?」

松永「教団に言えば見られると思います。あと、自治体などが公安調査庁に請求すれば見れます。」

BB「実際に確かめてみないと本当に名簿から削除されているかどうかわからないじゃないですか。脱会届を大仰に提出することで、代表派の嫌がらせがあることを恐れておられたけれど、わざと松永さんの名前が残されていたりしないんですか?」


松永「いや、それは絶対にないです。何度も確認したし」

BB「それは教団に確認したんですか?」

松永「ええ、何度も念を押した。名簿というのは、ただ氏名を列挙するのではなくて、教団内での役割とか役職も書くんです。例えば、広報が誰とか、この役割は誰とか。私の場合、そうした役職を全部他の人に引き継いで、誰に代わったというところまで確認しているから、大丈夫なんです」

松永「河上イチローのときも脱会届を出したと言っても信じてもらえなかったので、今回また内容証明で脱会届なんて出しても意味がなかった。(そんなことをすれば)嫌がらせをされて、名簿から削除してもらえない可能性もあったし。BBさんは出せ出せと言っていたけれど。」


BB「前回は公正証書とか、内容証明とか出したんですか?」

松「河上時代には、脱会届を出し、それを公正証書として保管してもらっていました。ネットには公開していませんが。しかし、それが「偽装脱会」と言われる状態であり(こちらの認識としてはさっき言ったように分派なんですが)、今回、同じように公文書的に脱会届を出しても認められないだろうと考えた、という流れです。」



【報道企画書について】


BB「表では僕は書かなかったけれど、僕は正直、あなたがあんなものまで書いていたというのは正直驚きました。だって泉さん、2−3回知恵を借りた程度だって言ってたでしょう?」

松永「でも、確かに2〜3回なんですよ。1回は喫茶店で話をしました。
それでumeさんにシステム系の相談をしてくれと言われて、それで一度メッセンジャーでやりとりをし、その後、企画書が送られてきて、なんか全然ちがうやん、と(笑)。で、最終的にややこしいからこちらで勝手にあの文書を書いてみたという次第。放っておくと、システムをわかっていないシステム屋さんの机上の空論みたいになりそうだったので、自分のブログ記事として書いた文章を残したわけです。


BB「別に陰謀があったとは、さすがにもう思っていませんが、松永さんももしかしたら報道機関ができたら、仕事になると思っていたんじゃないですか?それは別にあっても不思議じゃないし。」


松永「それは絶対ないですよ。僕は企画だけで、後は関われないと、彼女にはっきり言っていたわけですし」

BB「じゃあ、なんであんなもの書いたんですか?好奇心ですか?」

松永「でも泉さんには、まったく採用されなかったわけです。後から出てきたものを見て、これは全然違うと。「ユーザーカルマ」なんて、事前に見ていたら絶対に削除してくれと言った。まずいですよ。あれは、あまりにも。いくらシステム上での用語でも、あれはね、まずい。ちょっと待ってよという感じ。でも何の話もなかったんですよ、こちらには。だいたい、泉さんもumeさんもアフィリエイトもはっきりわかっていなかったと思う。仕組みがよくわかっていない。あれでは、僕の書いた企画書の本当の意味も理解してもらえなかったと思う」


河上イチロー時代は、松永さんに言わせると「偽装脱会」ではなくて、「分派」だという。これはなかなか微妙なところなのだが、要は、あの当時は何とか破防法を逃れていろんな形に姿を変えることで、信仰を守ろうとやっていたということらしい。ところが松永英明さんという人の、不思議なところというか、ユニークなところは、そうした活動をしているうちに、そっちが面白くなると原理原則を(おそらく)忘れて、そっちにのめりこんでしまうということだ。背後に冷静な組織の意向があったのではないかと疑いたくなるのは、自然だが、どうも聞いているとそういうことではなかったようでもある。この曖昧なところは、民主党の懇談会に出席した行動にも、報道企画書の件にも、つながってくるように思う。おそらく「悪意」はないのであり、異様に探究心が強い。その「探究心」の正体をまた疑うなどとしているときりがなくなるのであるが。
「ユーザーカルマ」については、もし事前に知っていればやめてくれよという感じだったと言っておられたのが印象的だった。
脱会届は、河上時代に公正証書として作成し、保管してもらっていたというのも、ここで初めて聞いた。あのとき、脱会届という言葉に、妙に過激に反応されていたのはこういうことだったのか、とわかった気がした。
教団の名簿からの名前の削除については、かなりしつこく聞いている。間違っても、絶対にもう掲載されていないという彼なりの根拠も、記されている。