風評被害とは何か--補足4


展開がどんどん速くなっているが、とりあえず

さて(売文日誌)

への返答。


ここで論じていただいたので事情は判明。検索する手間が省けたが



「議論に同意しない」でのはない。正確に行こう。「論点に同意していない」
と書いた。理由は具体的な発言箇所が批判者であるあなたから示されないから
である。記憶する限り、「ユーザーカルマ」に関する私のエントリーが具体的
に引用された記憶はない。
 BigBang氏の7月15日付けのエントリ



 一目瞭然。これはこの三日程の間にリンクを張ったこのエントリを確認してないと
認める発言であり、それだけで十分酷い発言である。一体何をみているのだろうか。


で、「このエントリ」の先を見ても、泉さんのコメントの引用と、下の引用があるだけ。




Pliggであることは承知していたが、それを私の口からは誘導できない。
(これはXOOPSであったとしても同じこと)オウムへの印象操作とは
全く関係がない。純粋にビジネス機密上の配慮の問題である。


テーマは「ユーザーカルマ」ではなかったか。「このエントリ」の先にある箇所の引用だけであなたのユーザーカルマに相当する論を組み立てることは無理なはずだし、実際ここだけを読んで批判したのではないでしょう?(そうであればそれこそ「酷い」話。)正確な引用をお願いしたいと言うのはこういうところ。あるいは引用どころのポイントがずれたか。

引用の件は難しい話ではない。「同じ話を二度したくない」とか、「誰かが引用したので私はする必要がない」かのような言い方をせず、「それはここだよ」と言えばいいし、こちらが「ここ?」と聞いたら「屁理屈」を言わず素直に「そうそう、そこ」とか「違げーよ!ここ!」とかその時点でやってくれればいい。さもないと脳内で互いに全く別の場所を想定して議論を白熱させてしまうことがある。それは無駄でしょうと言っている。互いに時間を有効に使いたいと。

せめて今後、それくらいは共通認識にしたいと希望するが如何?できたらYES or NOで、お願いしたい。これはどちらがどちらを論破するとかいう次元の話ではないので。互いに疲れるし。


まあ、同意いただけるなら(していただけると信じるので)はいいとして。




 なお
 「いやな偶然」については、松永氏が引越し先物件を決めきってもいなかった
日付と開発者のパソコンが壊れた日付が一致しても何の関連性にもならない


関連性がないと決め付けるのは一体なぜなのかと。ないなら、その関連性が「ない」と泉さんが答えればいい話。「非当事者」の売文氏がなぜ「何の関連性もない」と言い切る?それほどの根拠があるならこれも提示をお願いしたい。



そして誰かが指摘するかどうかと言うのも何の意味もない話。提示された関連
性が有効かどうかだ。有効でないものを針小棒大に吹かす事はこうした問題の
場合には許容されない。従ってその程度無効な指摘なら沈黙の方がマシだろう


あなたの論には「提示された関連性が有効でない」と判断する客観的根拠がない。「何の意味もない」と言う根拠もない。「従ってその程度無効な指摘」「針小棒大」などと突っ走るのも良いが、そうであれば、「有効性がないこと」あるいは「針小棒大」の理由を論理的に説明できない売文氏も大幅に沈黙を強いられると思うが、その点はいかがか。このように「沈黙を」などと言うならすぐに自分に返ってくる。そもそも「沈黙の方がマシ」などと軽く言うことへの、心理的抵抗感はないのだろうか。

次。



私がどこで、そのような表明を行っただろうか。該当の発言を引用していただきたい。


 これは「ユーザーカルマ」を梃子としてオウム関連疑惑が「まだ残っている」と表明
している事の方こそリスクとなっただろうとは思う」とする僕の発言へのコメントである。昨日引用した部分だが、以下の部分。泉氏らの宗教性が明らかになるまではカルマと言う語を梃子として宗教的・組織的恣意を勘繰る事も「誤解ではない」と言っている。


という言葉の後に回答として引用されている僕の発言。



「誤解」という言葉が有効であるとすれば、後になって全くその「疑義」が誤っていた
という事実が明らかになったときのみ、初めてそれが「誤解であった」と言える。この
場合、カルマという言葉が「誤解」であると捉えられるとすれば、泉さんやumeさん
に、宗教性が全く存在しておらず、松永さんも、宗教的なあるいは組織的な恣意を
もっては、この問題に「全く関わっていなかった」ことが説明され、納得されて初めて
「誤解であった」と言えると思う。
 BigBang氏の7月10日付エントリより


引用されている部分を本人=私が穴の開くほど見つめても、「「ユーザーカルマ」を梃子としてオウム関連疑惑が「まだ残っている」と表明している」というあなたの発言に該当する箇所はない。そうではなく、あなたが「誤解である」と言い切る根拠を尋ねているのであり「説明され、納得される」プロセスの不在を言っているのである。そもそもあなたの言う論拠はあなたがすべきことではなく、(あなたが真実について全く知らないことは明らかであり誤解を主張できる根拠もあるはずがないから)泉さんや松永さんがすべき言論なのである。ここの理解は大丈夫?




私が企画書の公表に関して泉さんの許可をとる(ちょっと
苦笑する)くらいなら、それ以前に彼女が責任をもって
公表してしかるべきであろう。そして実際彼女は自主的に
ソフトウェア名を出した。企画書も出した。
月も見えない夜に。 - 風評被害とは何か--補足



 妙な話である。コメント欄を使う程度の事で相手の許可を取ろうとし続けてきた
人がこういうのである。しかも許可なく公開してもいいという言い方がどの程度の
説得力を持っているのかはよく解っているはずだ。相手の不正や無責任を問題
視するためなら無制限に「許可もなく公開」してもいいという訳じゃあない事なら
解っているはずである。だから「ソフト名を出すのは訴訟リスクになる」ともいって
きたはずだ。逆に言えばそこ「さえ」クリア出来ればまるで問題などなかったし
その手段は連絡一つで随分たやすく出来たはずだという事である。事後的にも
その可能性を認められないのは事実から内心への反映をしないという事だろう。



コメント欄を使う「程度」(程度ときたのには個人的にはあきれる)のことで相手に許可を取ろうとしたのは、当該ブログの管理者の明確な意思表示が大事なことであると思ったから。あなたと通りすがり氏は「黙認をもって正当化できる」と主張したが、私は賛同しなかったので、手続きをとった。これは手続きの問題。通りすがり氏の言うように「どちらが勝つ」とか「異議申し立て」とかいう類の話ではない。交通ルールのようなもの。

一方報道企画書は全然話が違う。当該の企画者であり、事情の説明を求められている泉さんが自身の口から説明することが「明らかに正当である」話。それを、「公開したい」私が許可をとって公開しようとしたり、「公開したいのですが」などと連絡をするのは筋が違うと言っている。

全くケースが異なるこの両者を混同して論じようとすることが間違いである。こんな単純なことがあなたにわからないわけはないはずだと思うが、あなたが自分の展開する論理には極めて甘いということを私が言うのはこうしたところ(ちなみにこれはあなたの人格に関する指摘ではないから。念のために


次。その人格の話。私の問いは下記。



これもあなたが返される言葉である。「この程度の反論」をもって
「人格攻撃」とされるいわれはない。あなたこそ正当な反論と人格
攻撃との距離を見誤ってはいないか。私はあなたの「人格を攻撃」
した記憶はない。あるなら「具体的に」その箇所を提示して欲しい。



に対して期待される反応は無視する以外には通常3つ。

(1)「人格攻撃」に相当する箇所を提示する。
(2)「人格攻撃」に相当する箇所は具体的にはないが、全体的にそういう印象があると回答する
(3)そういった箇所はないことを認め、早計を詫びるか表現を修正する


で、あなたの答はこれ



 この点は「この程度の反論と封殺との距離も解ってはいないらしいがこちらの論理
ではなく人格攻撃まがいの事を言い募ってきたのはどちらの側だろうか」と書いた事
へのコメント部分だが、結局のところ「封殺」に該当する箇所の提示はないという事
だと読んでもいいのだろう。従って「人格攻撃まがいの事」の例示はそれだけで十分。


?????
どこが十分?

上の3つのどれにもあてはまらないと?(私もどこかでそれを言われたような気がするが)それならそれでいいが、難解な表現どころか意味がとれない。いつあなたが私に「提示」を求めた?求めなくてもそれくらい察しろとでも?

それなら「封殺」に該当する箇所の提示をしろと最初から私に対してはっきり書けばよろしかろう。私は提示して欲しいとはっきり書いている。あなたは「この程度の反論と封殺との距離も解ってはいないらしいが」と書いているだけ。どう読んでも私に該当箇所の提示を求めているとは思えないが、100歩譲って最初からそうであったと言うなら、今からでも遅くないので互いに提示を行いましょうか?

あなたは私が「人格攻撃した」と思われる箇所を。

私はあなたが「封殺した」と思われた箇所を。

どうでしょう。