バベルの塔

遠い昔、人はみな同じ言語を喋っていたが、神によって分たれたのだという。天まで届く塔を作ろうという傲慢な試みへの神の反撃である。

映画の「バベル」は、まだ観ることができないでいるのだが、人の言葉がいつかまた、神によって乱され、通じなくなっていくのではないかという恐怖が、時折頭をよぎる。言語の分岐が、罰によってなされたという考え方が、子供のころの自分には、どこかショックだったことを覚えている。どこか恐ろしい感じがした。

そのとき人が失ったのは、共通の言語だけではなく、おそらくそこから一人であることの孤独もはじまったのかとも。

だからといって、いまさら何を恐れる。言葉は、とっくの昔に分たれ、既に通じなくなっているのではないか。言語がどうとかいう問題ではないので。根が深いし、始末が悪い。
むしろ心が通じなくなったという現象が先にきて、結果的に言語の隔絶に至ったのか。そう考えるとますます妄想は深まる。

で、そこにいるあなたが一体どこの誰であるのか。
そんなことは、実にどうでもいいことである。このことの前には。