私はそれを「神」とは呼ばない。ましてやそれは「鯖」でもない。


およそ「社会」なるものから疎外されていると、生まれてから一度も感じていない人間なんているのだろうか。いるとすれば信じられん。そいつの親の顔が見てみたい。俺の親の顔もな。(などと暗いジョークを言っている時ではない。)

ある種の健全と呼べる神経があるのであれば、自分は社会から「疎外」されていると一度は思う。そこの魚屋もな、そこの風俗嬢もな、そこの宮崎県知事もな。

一体感を感じられないと一度は思う。それがエラソーに言えば「自我の確立」というやつで、種明かしを受ければ何のことはない。誰でもそう思って生きている。ただ、その「思った」時期が、今のあなたの「今」ではないかもしれないだけで。そしてそいつが、ある時期とてつもなく「社会」に対して牙を剥く時期があるだけで。


子供の頃には、「大人=社会」だと思っていた。隣の荒井さんは警察官だったしなって関係ない。大きな社会という海に、大人たちが鯖のように大量に溶け込んで、あの鯖の目で、うねうねとくねっている。そのうねうねの中に、いつか「出世魚」のように、自分も参加しなければならない。そうなのら。そのためにベンキョするわけね。わかりました。ヒロシは鯖の先頭になります。よっしゃと。いろいろ事情もあり、立派な出世魚にはなれませんが、魚である以上、泳げなければ話にならない。まずは泳がせていただきます。と。

で。
でもね。

海に出てみればそこはワタクシの想像とは違っていた。鯖となって大海に溶け込んでいたはずの大人たちは一体どこに行ったのか。彼らはみんなばらばあらではないか。ウツボのように、岩に閉じこもっている奴もいれば、「山椒魚」のような奴もいる。それもいっぱい。鯖じゃねえよ。これは。鯖どこ行った?大量の山椒魚の世界だ。キモチワリイ。岩穴も海老も足りませんが何か?

世界にはばらばらな個がばら撒かれているだけだ。そこに「共通意志」もないし、「共通正義」もない。ねえよ。うそつき。いや、誰もそんなこと言ってねえ。

たまたま運良くあなたと私が異性であれば(いや同性でも)会って盛り上がって気が合えばセックスくらいはするかもしれない。だが、それは違うんだな。子供の頃に思っていた「海」とは違う。個人幻想は共同幻想に逆立するって、偉いあの人は言ってたじゃないか。だからサークル合宿さぼったんだ。って違うか。


みんながばらばらだと気がつけば、己が「個」の孤独など、たちまち相対化されてしまう。どうってことはない。孫悟空のように、お釈迦様に閉じ込められている、哀れな猿の永遠の孤独は別として(それですら数十万年後に開放されるのだ)謎の河童は別として、山椒魚であれば、世界を夢見る。世界と繋がることは、おそらく見果てぬ夢ではあるが、お前は鯖になりたかったのか?それがお前の見た夢?


いや、そうではなかったはずだ。我が母は。我が父は。生まれたあなたに鯖になれよと祈ったのか?あるいは山椒魚になれよと祈ったのか?そんなことはなかろ。なかろ。あるはずがない。


我らは個としてこの世に生まれ、個として生きて、個として死んでいくのだ。それだけのこと。

違うのだ。

あなたを、鯖が泳ぐ大海が取り囲んでいるというのは。たった一人のあなたを、愚かな鯖どもが取り囲む世界が、あなたを圧迫して取り囲んでいるというのは、断じて幻想なのだ。


個が個として個が個のくせに、個に向けて個の触手を精一杯伸ばし、結果的にきっとそれは届かないこともあるというか、だいたい届かないに決まっているのだが、その営みを運命づけられたという、底の知れない力。


その力を、私は「神」などという馬鹿げた名前で呼ばない。

絶対に、金輪際呼ばないのだ。