ユーザーカルマについて


ことのはを巡る未解決の問題・備忘録---夏の宿題編

ココログで始めようかと思っていたが、ここのところメンテだ何だで落ち着かないので、とりあえずここで。


(D-2)
●「ユーザーカルマ」という用語を使い、umeさんや泉さんに対する合理性なき疑惑を拡大したのではないか?という疑念に関する見解の表明。


疑義該当箇所が一向に提示されないので、こちらで自主的に探してきた。おそらく下記の部分ではないかと思うが、どうだろうか。他にもあれば指摘願いたい。


また、短いコメントをつけていただくのはここでも構わないが、議論の場としては窮屈すぎると思う。これもココログが回復しないとどうにもならないのだが、できれば本サイトの方の宿題エントリーにコメントはまとめたいと思っている。また整理された情報を流すけれども、暫定的なお知らせということで。よろしくお願いします。


それ以前の企画書と大きく違う点は、「ユーザーカルマ(ネットユーザーの特性評価)」と呼ばれる考え方が導入されていたことだ。ニュースサイトや取材サイトでの投稿、評価行動から各ユーザーのカルマ(性向値)を計り、ユーザー特性を数値化、それに応じた報酬を企業から得ようというものだ。どのようなニュースが投稿され、どのような評価を読者から得られたか。それを「ユーザーカルマ」という数値に置き換えようとするものだ。それ以外にもユーザーカルマについての記述は及ぶが、若干の独自性を持つ部分については、この企画書の業務的機密保持の観点からここでは割愛する。

この「ユーザーカルマ」という用語は、松永さんのオウム信者問題発覚以後、長く私を悩ませた用語となった。なぜよりによって「カルマ」なのか?

後日、1月12日にもう一度泉さんに会い、その理由を尋ねたが、彼女の反応ははっきりしなかった。「開発者がこだわりを持っているんです」という回答だけだった。また、「もう少し明るい印象のものにできないか」と聞くと、「私は別に構いません」という答だった。また、このビジネスモデルが何か他のモデルに抵触する恐れはないのかと聞いたが、「わからない。それはどのように調べたらいいのか」というような回答だった。

#最近になって、「スラッシュドット」において、やはりほとんど同様に、ユーザー数値を「カルマ」と呼んでいることを知った。また、別の方からは、ある種のRPGでこうした用語を使っていることも教えてもらった。(若くないんでね。すまん)したがって、ビジネスモデルとしては先行事例があるので、この「カルマ」という仕組みに新規性はない。企画が実現しても、おそらくその名称は使えなかっただろう。
新規性がないので、ここに触れても構わないと思っていることがひとつ。そして、このバージョンより前の企画書には登場していない概念が、この版で急に登場したことに違和感を感じたことがひとつ。さらに、泉さん自身は(おそらく今でも)この「ユーザーカルマ」の由来が、スラッシュドットのことも含めてわかっていないであろうということである。

とにかく、ここは彼女と話してもはっきりせず。またカルマを実現するためのシステム上の仕組み(これについても、具体的な言語やアーキテクチャーなどは、業務機密保持上の理由を認めるので割愛する)についても、質問してもはっきりしなかった。
彼女は要するに、取材がしたい、それで生計を営みたいのである。新しい報道機関の仕組みに、執着や自意識を重ね合わせているとは思えなかったし、企画についても自己同一性を持っているとも思えなかった。


GripBlog報道メディア設立企画書について思うこと(5))


「ユーザーカルマ」を引いた記事の主眼は、太字の部分である。泉さんが報道企画書の全貌を把握していなかったということの例示のために言及した。この記事の趣旨はその点であり、企画当時の泉さんの「ユーザーカルマ」に関する説明が不明確であった点を指摘するのが目的であった。
なお、カルマの「宗教性」に関する憶測が当初自分にあったことは事実である。その事実は事実であり、隠蔽する気はない。ただし、その後スラッシュドットについて知るに至り、赤字の部分で加筆したように、「カルマ」を宗教用語としてのみ捉えることは正確ではないということを、あえて目立つようにコメントしている。従って私は必要以上の憶測や誤解を廃すための一定の努力をしていると思う。

では、元に戻ってこの「ユーザーカルマ」という用語をなぜ使ったかについては後に泉さんからこういうコメントが出ている。


「ユーザーカルマ」という言葉についてですが、これは最後の企画書で利用することを書いた『Pligg』というフリーソフトで使用されている言葉をそのまま使っています。『Pligg』は、『Digg』を真似て作られたGPLライセンスフリーソフトで、その中で元々ユーザーの評価をする単位に「カルマ」という言葉が使われていて、それをそのまま使いました。

こういう説明は企画書作成当時なされていなかったことは前述の通り。

この件に関する泉さんとのやりとりは記憶の限りこれだけである。これを指して私が「必要以上にユーザーカルマという用語を喧伝して誤解を広げしかも放置した」というには当たらず、十分な配慮はされたと自分としては考える。


それともう1つ。


「誤解」という言葉が有効であるとすれば、後になって全くその「疑義」が誤っていたという事実が明らかになったときのみ、初めてそれが「誤解であった」と言える。この場合、カルマという言葉が「誤解」であると捉えられるとすれば、泉さんやumeさんに、宗教性が全く存在しておらず、松永さんも、宗教的なあるいは組織的な恣意をもっては、この問題に「全く関わっていなかった」ことが説明され、納得されて初めて「誤解であった」と言えると思う。


現在それが十分に説明された状態であるとは言いがたい。という見解には変わりがない。


ことのはを巡る未解決の問題・備忘録---夏の宿題編


を参照願いたい。




【加筆】

冒頭にも書いたが、(ココログが回復してからということになるが、)宿題に関する議論はなるべく本サイトの方で行いたい。ここでも短いコメントをつけていただくのはできるが、議論としてはやりづらいと思うので。また、整理されたインフォメーションは流しますが。