辛夷のような。ソクラテスのような。

昨日、関嘉彦先生の「お別れ会」に出席。その中で、関先生を「辛夷の花のような方でありました。そしてソクラテスのような方でもありました。」と評している方があった。

ソクラテスのような」というのは、ある意味わかるし、そう評される人も他にいるような気がするが、「辛夷の花のような」というのは、耳に残った。

で、こんな記事も見つけた。

辛夷(こぶし)は、春の訪れを告げる代表的な花で、早春の陽光にかがやく白い花を見ると、今年もいよいよ春がやってきたかと心躍らせてくれます。北国の方々にとっては、特にそうなのでしょうか。「♪〜こぶし咲く、あの丘北国の〜ああ北国の春〜♪」。千昌夫のヒット曲「北国の春」の歌詞にあったり、山形出身の藤沢周平さんの短編時代小説にもよく登場していたように記憶しています。農村では、辛夷の花の咲くのを見て田畑を起こしたり、種をまいたりし、また、花の咲き方や花の多少によって、一年の天候や作物の豊凶を占ったようですね。九州には、辛夷の花にまつわる、こんな悲話が言い伝えられています。壇ノ浦で敗れ、熊本県の五家荘、そして宮崎県の椎葉に逃れた平家の落人たちが、早春のある朝、目を覚ますと、全山に無数の白旗がはためいていました。それを見た落人たちは、もはやこれまでと思い、自刃して果ててしまいます。しかし、源氏の追っ手の白旗に見えたのは、実は辛夷の花だったそうです。 それほどまでに、辛夷の花は、前触れもなく一夜にしてパッと満開になる花です。(イラスト歳時記・辛夷(こぶし))


うーん。千昌夫になっちゃうのは何だかなあ、という感じだけれど。評された方は、武骨で地味で美しい花=辛夷を思って、こうした形容をされたのだと思う。



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