■佐々木俊尚:「ことのは」問題を考える について少しだけ2--絶対的正義なんてない。


前日はアジア関係についてコメント。今回は表題の件。本サイトでやろうかなと思ったが、佐々木さんには悪いけれど、それほどの話でもないように思えてきた。あっちは、あっちで今いろいろ忙しいし。

黒崎さんが言うように、前半部のオウムへの感想はいらないな。

おそらく佐々木さんは、私と同じ世代か、やや下だと思うんだけれど、日本の報道人のレベルとしてどうなんだろう。失礼だけれど。このオウム訪問への感想は、これでは、正直泉さんとあまり変わりが無いように思う。

だから夜の東京総本部でオウム真理教信者たちに接触した私は、ひどく緊張し、手に汗をかいた。周囲は静かな住宅街で、夜八時を過ぎると人影もほとんどない。火炎瓶、と聞いてさらに詳しく話を聞こうとした私は、気がつけば白い服の信者たちに取り囲まれていた。写真を撮られたり、詰問されただけだったのだが、この時感じた恐怖はいまも忘れられない。「自分とは異質なもの」「人間のルールが及ばないもの」に相対したことに対する、大げさに言えば根源的な恐怖だったのである。

怖かったわけですね。(いや、そりゃ怖いだろうけどさ)

で、本題。


 ネットの中に絶対的正義が醸成されてきてしまった背景は、どこにあるのだろうか。

 しかし私は今でも、マスメディアが声高に書いてきた絶対的正義の向こう側に、フラットになった言論の世界が誕生し、そこにインターネットのジャーナリズムの可能性があると信じている。なにがしかのその可能性が、単なる楽観主義でないことを、私は今ただひたすら祈っている。

祈って終わるのか。という月並みな突っ込みもおいておいて。この絶対的正義と「フラットになった言論世界」の話。

最近、元日テレアナウンサーの薮本さんブログの「炎上」が話題になっている。原因は彼女が、古巣の日テレアナウンサーのスカート覗きについて、「元々男の子はパンツが見たいんだ」とか「見せる女の子はどうなのよ」などと書いたことがきっかけ。それこそ数千のコメントが押し寄せて、大変なことになっている。

これなんかは、佐々木さんの言う「絶対的正義」が彼女を寄ってたかって苛めているということなんでしょうかね?数千のコメントを全部読むことはジャニーズに来るバレンタインチョコレートを数えるようなもので、誰にもできないけれど、コメントの言っている事ははっきりしている。

要は

「会社の都合で件のアナウンサーの名前を匿名にしている日テレを棚上げにして、何が男の子は・・だよ!」


というものだ。はっきりしている。もちろん、この期に応じて有名人をたたきたい有ゾー無ゾーもいるけれど、総じてここでコメントの言論は、「常識的」だと思う。

で、問題は他人事ではない「ことのは」問題だが、確かにオウム憎ければ袈裟まで・・という言論もあるけれど、自分としては松永さんのことも、泉さんのことも、そんな定型的な括りで批判してきたわけではないと思う。それは私だけではなく、単純なヒステリックな批判だけがこの2ケ月繰り広げられてきたわけではない。それは、この騒ぎを追ってきた人なら誰でもわかると思う。


どれほど多いコメントでも、その中で主張しているあるいは追求している中身に、非常識なものばかりがあるわけでもない。かといって、一方的に正義を主張するものばかりでもない。収拾の方向を提案する声は必ず現れるし、本人が説明責任を果たすことで、落ち着く例が殆どである。


果たして佐々木さんは、十分それを追っているのだろうか。



「ことのは」の話には、欠かせない2つの事項がある。


民主党のブロガー懇談会


●ネット報道機関設立企画


の2つである。それに対して松永さんや泉さんがどのように対したかが問われているのだ。
抽象的な「絶対正義」がどうとか言う前に、ジャーナリストとしては事実をどのように取材したか、そして解釈したかが問われるのである。


IT関連の記者だから・・・では許されない。