セックスをテーマにすることは究極の文章芸

で、私になんか到底できかねるのだが。いや、できないとは言わないが。セックスについて書けるかどうかのあたりに、何かがありそうな気もする。何もないと言われれば、そうですかと淡白な私は(ほんとかよ)引き下がるけれど。たとえばこのエントリー。

 私が、女を買うことについて書くことにこだわっているのは、射精を手伝ってもらう権利に対して金を払うという行為は、比喩的な意味では売春の現場にとどまる話ではないと思うからである。男と女の間にある深い溝は、生活のあらゆる場面でその暗い淵を広げており、たとえば結婚は、女を金で買うこととイコールではないのか。だが、それについては、日をあらためて書いていくことにしよう。というところで、女を買うブロガーである私は、買うことのできないものについて書くために、今日のエントリを終えて夢も見ずに眠った。(セックスなんてくそくらえ - 女を買うということ)

これを評価するには、女性の側から対称形のエントリーが提示されなくてはならないのだろうが、それは不可能な気がする。で、その理由あたりの霧の中に、かなりの秘密が隠されているようにも思うが、我々が到達する見込みの無い秘密について考えても、無駄な気もするのだ。


たとえば?



たとえば宇宙の果てについて、とか。
世界の最初の1秒間について、とか。