No Woman, No Cry



秋も近いのだが、まだ暑い。


大学に入ってから、ボブマーリーの音楽に出会って、ジャマイカと言う国があり、レゲエという音楽があり、抑圧だとか搾取だとか、そういうことが第三世界と呼ばれる国にあるのだとようやく知った。知ったというか初めてそうしたことについて考えた。いや、違うかもしれない。そういう流れでは、それからすっと生きてきて、今でもこの国のことの何も知ってはいないのだろうとは思う。


後を考えても、ポルポトがあり、ルワンダがあり、ダルフールがある。


あの頃僕にボブマーリーを熱く語ってくれたギタリストのYは、あの頃いつも苛立っていたが、確か小学校の教師になっているはずである。どんな教師になっているだろうか。今でも子供たちにボブマーリーを教えたりしているのだろうか。


今でも僕のiPodにはボブマーリーが入っていて、これはきついなと思ったとき、あるいは人の世にうんざりしたとき、夜中にボブマーリーの「No Woman, No Cry」や「EXODUS」を聴いたりする。

その程度のことと言えばその程度であるが。今年、本屋でいやにボブマーリーの顔が目立つと思ったら、ボブマーリーが死んでから今年が25年忌にあたることを知った。


1981年5月11日。


思い立って、訳してみた。

(原詞はここ)



No Woman, No Cry

トレンチタウンの官庁の庭に俺たちが座っていた日のことだ。
善良な人たちの中にそ知らぬ顔で混じった偽善者の奴らを
2人で眺めていたんだ。

そういう中で出会った大切な友人たちも、
次々と倒れていなくなっていった。
どんなに素晴らしい未来がやってこようと、昔のことを
忘れることは出来ない。

だから涙を拭うのだ。

愛する女よ、泣いてはいけない。
愛する女よ、泣いてはいけない。

俺の大事な人。涙を見せてはいけない。
愛する女よ、泣いてはいけない。


トレンチタウンの官庁の庭に俺たちが座っていた日のことだ。
ジョージが薪を火にくべると、炎は一晩中燃え続けていた。
そしてコーンミール粥を作って、お前と分け合って食べたよな。

俺に残されているのは、この2本の足だけ。
だから、何があっても進まなければ。

俺がいない間も、きっと全てはうまくいくさ。
きっとうまくいく。
何もかもうまくいく。
世界は、きっと今よりうまくいくようになっていく。

だから

愛する女よ、泣いてはいけない。
愛する女よ、泣いてはいけない。

俺の大事な可愛い人。涙を見せてはいけない。
愛する女よ、泣いてはいけない。


愛する女よ、泣いてはいけない。
愛する女よ、泣いてはいけない。

俺の大事な可愛い人。涙を見せてはいけない。
愛する女よ、泣いてはいけない。