鵺と下弦の月


その夜。


深黒の帳(とばり)があたりに舞い降りた頃合を見計らって、男は一気に山を駆け下りた。
男の両の掌には今掬い取ったばかりの、半月形の魂が乗せられていたが、
それはまるで、夜空に架かる本物の月のように、煌々とその男に抱かれていたのであった。

余りに男が慌てていたので、出迎えた宮司は少し呆れたような顔をした。


「お見えになるなら連絡くらい欲しかったですね」


と言いながらも宮司は、男からその下弦の月のような魂を、大事そうに受け取った。


「間に合ったようで・・」


男は下弦の魂を宮司に無事に渡した安堵に、額の汗を拭い、何とか呼吸を整える。


「何しろここには・・」


「説明は要りません」


宮司がじろりと男を睨む。男はその怒気を含んだ声に押されて、ぐっと言葉を飲み込む。
見れば宮司は半月形の魂を、幾つも両手に抱え、何やら呪文のような祝詞を上げている。
半月形の魂達は、まるで生き物のように宮司の掌の上で、転がり、光り、よろめきながら
1つの大きな塊へと姿を変えていく最中である。

これが、話に聞いた儀式か、と男はどんな小さな宮司の仕草も見逃すまいと目を凝らすうち、何やらうめき声やら泣き声やらが奥のほうから聞こえてきた。

ざわめくその声は、何やら言い争っているようでもあり、飲んだくれているようでもあるが、
人の世を諦めているようではない。男にはそう聞こえた。


ふと見れば、男の持ち込んだ、魂もいつか宮司によって大きな他の魂と一緒に、今まさに社の奥へと封じ込められようとしていた。


それにしても綺麗な下弦の月であったのに、と男は宮司に魂を渡したことを後悔し始めていたころ、空は次第に暁に染まり、男の心は、つかの間揺らめいた後、すぐに月の光へと溶け、今自分が持ってきた半月の魂の中へとするりと溶け込んでいくのであった。


「もう間に合いませんよ」


宮司の声が静寂に響く。

遠のく意識の中で最後に男が思い出したのは、今山で別れてきたばかりの女の美しい切れ長の目と、今宵の月のように青白い肌であったが、宮司はそのようなことは、預かり知らぬことであった。



8月15日深夜。

遠くで鵺が鳴いた。