アンダーグラウンド再読(1)


アンダーグラウンド」は、1996年1月はじめから、同年の12月の終わりにかけて、約1年間かかって行われた、サリン被害者への村上春樹のインタビューである。登場するインタビューイ(証言者)は62名。
インタビューイは新聞の被害者リストなどから地道に辿る方法が取られた。約3800人の被害者からピックアップしていく作業は困難を極めたという。被害者に新聞広告などで呼びかける方法は敢えて取られなかった。

取材において筆者がまず最初に質問したのは、各インタビューイの個人的な背景だった。どこで生まれ、どのように育ち、何が趣味で、どのような仕事につき、どのような家族とともに暮らしているのか。そういうことだ。とくにお仕事についてはずいぶん詳しいお話を伺った。(「アンダーグラウンド」より)


アンダーグラウンドは、サリンの撒かれた地下鉄の路線に沿って目次構成されている。すなわち、「千代田線」「丸の内線(荻窪行き)」「丸の内線(池袋行き/折り返し)」「日比谷線(中目黒発)」「日比谷線(北千住発中目黒行き)」の5系統であり、62名の被害者へのインタビューもこれに添って行われている。(尚、62名のうち2名は息子さんを亡くされたご夫婦であり、もう1名はその息子さんの奥さんである)

人々の語る話にしばらくのあいだ耳を傾けていただきたいと思う。
いや、その前に、まず想像していただきたい。
ときは1995年3月20日、月曜日。気持ちよく晴れ上がった初春の朝だ。まだ風は冷たく、道を行く人々はみんなコートを着ている。昨日は日曜日、明日は春分の日でおやすみ----つまり連休の谷間だ。あるいはあなたは「できたら今日くらいは休みたかったなあ」と考えているかもしれない。でも残念ながら色んな事情で、あなたは休みをとることはできなかった。
だからあなたはいつもの時間に目を覚まし、顔を洗い、朝食をとり、洋服を着て駅に向かう。そしていつものように混んだ電車に乗って会社に行く。それは何の変哲も無い、いつもどおりの朝だった。見分けのつかない、人生の中のただの一日だった。
変装した5人の男たちが、グラインダーで尖らせた傘の先を、奇妙な液体の入ったビニールパックに突き立てるまでは・・・・・。(「アンダーグラウンド」より)