美しい月が見たい。

また自分のことを書かれたのかと思った。

即ち、僕はそれら、人を、人脈を、出会いを、素晴らしさの根拠とする人々に対し、思いつく限りの罵倒を浴びせかけたい。彼らを否定し、攻撃し、負け犬であり卑怯者であると断罪したい。何故ならば、僕は、僕を除く全ての人々と僕自身に対し、思いつく限りの罵倒を浴びせかけ、否定し、攻撃し、負け犬であり卑怯者であると断罪したいからだ。

僕はそのような、決して明かされることの無い、除き見られぬブラックボックスの中身として存在していたものを誇るような人間ではなく、その人生において勝ち取った、小さな、まったくもってくだらないけれど明確なもの(例えばmouz.philbotに対する勝利とか)を褒め誇る人間を賛美する。心の底から、一切の邪心なしに。
犬を飼う老人(真性引き篭もり)

最近深夜に酔って帰ると、寝ている犬を起こして話しかける。こういう親父がよくいると聞かされていたが、本当にいるんだ。驚いた。驚いた。いや驚いてばかりはいられない。

少なくとも僕は「人を、人脈を、出会いを、素晴らしさの根拠と」してはいない。

人は信じられない。
人脈なんぞ屁の役にも立たない。
出会いってなんだ。出会い系か?お断りだ。


どうしてわかってくれないんだ!
hankakueisu。

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いや、そうだった。今回は君は僕に呼びかけているのではなかった。
失敬。


「小さな、まったくもってくだらないけれど明確なもの」とは、例えば君のブログのことか。いや、これは冗談だ。君のブログは素晴らしい。全くもって素晴らしい。心の底から、一切の邪心なしに。



あれ?

犬の速度は結構速い。
年老いた老人の思惑を超えた早さで育ち、瞬く間に、老人に並ぶ。

そこで老人は何を望む。
残されたのは2つの筋。

老人が死に、屋敷と犬が生き残るか、
犬が死に、屋敷と老人が生き残るか。
(同上)

老人が犬を連れて屋敷を出て行く場合も、大いにある。


そこは、既に僕が死に絶えた後の世界であり、出て行く老人は君の顔をしているかもしれないのであるが。



美しい月がみたい。