R30氏の追加(言い訳)エントリー 2.0 > 1.0 ?

とりあえず読んだ感想。

普通の感覚なら、そこで取ったインタビューを滝本氏などの裏取りもせずにそのまま公開するなど、あり得ないだろう。僕も理解できない。でも、彼女はたぶん「ジャーナリズム2.0」なんだよ。僕のインタビューのテクニックも、松永氏の公式見解トークも、何もかも全部「そのまま、聞いたまま」ぶちまけてしまって、そこから何かを生み出せると信じてるらしい。まあ、そういう信心から本当に何かが生まれることもあるかもしれないから、僕は過去の自分の「1.0」の流儀を彼女に押しつけるのは、諦めた。

ぶくまもしたけれど、あのままスルーかと思ったところへ、追加エントリー出たことは評価。だが何でも2.0>1.0という先入観でモノを語る、あるいは何かを語ったかのように錯覚するのはやめないかい。これはR30氏に限らんが。
編集しないインタビューがなぜ2.0なのか、わからん。参加型(市民)ジャーナリズムがそういうものだと言いたいならまだわからんでもないが、これはかつての堀江と一緒。
2.0の流儀も1.0の流儀もないんだよ。ネタ演出の単語と化している「2.0」が気の毒。

僕のどこをどう見たら悪魔に見えるのかこっちが聞きたかったが、でもその時、僕はそれが僕ら日本人の負っている歴史というものなのだと思った。僕は土下座するようにして彼女に謝った。「戦争で日本人はアジアの人たちに本当に悪いことをした。それは僕も知っている。お詫びしてもどうにもならないことは分かっているが、それでも君と君のお爺さんには心からお詫びしたい。ただ、僕が悪魔じゃないことは、たぶんこれまでの友達付き合いの中で君も分かってくれているはず」。夜中に1時間ばかりそう言い続けて、彼女はやっと納得してくれた。

 賠償が終わろうが終わるまいが、過去に我々の祖先が犯した罪は、その痛みを覚えている人がいる限りなくならない。国家賠償は済んだからもう謝罪は十分だろうとかいう人が最近よくいるが、政治決着と人の記憶は、別の問題である。痛みを訴える人がいれば、我々はいつだって、いつまででも謝らなければいけない。それは、そういう歴史が厳然とあるから。


それはあなたのイデオロギーの問題。やはりここでは邪魔。場に即さない。

あなたが「日本のために」平身低頭して詫びる姿はあまり想像できないが、「中村屋のボース」を読んで、もう一度大東亜共栄圏とは何であったかを深く考えてくれ。(自己宣伝)