「デスノート」なら「リング3部作」


子供がめちゃくちゃ嵌っているので、テレビで見たけれど、正直なところこのプロットなら、僕は「リング」シリーズの方を推す。
映画版の「リング」は少々「貞子」のオカルト面が強調されすぎていたけれど、実際は長大なSF・ファンタジー大作である。
「リング」「らせん」「ループ」の三部作を読み耽っていたときの幸福といったらなかったなあ。読み終わってからしばらくは呆けてしまい、「バースデー」まで読み進んだ。


関わった人間が次々と死んでいくというところは「デスノート」に通じるところがあるが、「デスノート」では名前をノートに書かれた人間がなぜ次々と死んでいくのかについては説明しない。デスノートだからとにかく死んでいく。で、これはむしろ当たり前の処置であり、元々非合理的なものをマジに解釈しようと思うこと自体が普通ではないし、必要でもない。


ま、それがふつーであろう。


ところがリング3部作では、ビデオテープを見た人間がなぜ次々と死ぬのか、そしてビデオをほかの人間に見せないとなぜ助からないのかなどといった、一種非現実的な仕組みを大真面目で説明しようとする。で、その説明は誇大妄想の極地となって、もはや最終作の「ループ」になると、途方もなく破綻していくのだ。だから無理なんだって。(笑)


しかしこの壮大な破綻は僕には実に気持ちの良いものだった。頭の隅がじーんとなった。しばらく貞子のことばかり(!)考えていた。


残念ながら鈴木光司はこの3部作で全てを使い果たしたらしく、その後の作品には見るべきものがないように思う。それもむべなるかなと思わせるくらいの作品だったのである。


で、映画のほうは「ヘタレ」なので日米いずれのバージョンも見に行っていないのは、靖国神社のお化け屋敷と同じである。



でもさ、小説版を全部読んだ人ってなかなかいないんだよね。