生きていることの化学的寂寥感


生きていることの絶望も苦しさも喜びも、所詮この身に流れる電流と化学物質の反応でしかない。

と考えたとき、そういえば雨の憂鬱も、星の夜の高ぶりも、秋の日の夕暮れの風景も
どん底の暗闇も、そうか電極と化学反応のごにょごにょであったかと思い知り。


そんな妄想が何かを楽にしてくれるときも確かにあるのだが、
つまり我らの日々の絶望や喜びの信頼性、確からしさのようなものはかなり低いのだと思い、下手な手品を見せられ続けてこの身は永らえるのか。

こうして生きていることの化学的寂寥感に堕ちながら、また生きるのである。




ときに、愛とは何ミリアンペアほどなのであろうか。