その人要らないじゃん。

茶店で大学生ぐらいの男女が話をしていた。なんかいつも立ち聞きをしているようだが、ついまたその一部が耳に入ってきてしまった。女性の方が、どこかの公共施設にスタッフが多すぎるのではないか、と感じた話をしていた。「無駄な人が多すぎると思う」というようなことを言っていた。そのようなことを誰かに言ったところ、「地域の雇用創出という意味では、そういう考え方は間違っている」とその誰かに諫められた、というような話もしていた。しかし、彼女は納得がいっていないようだった。「いつもあそこにいくと、あ、この人要らないじゃん、とか思うんだよね」と。
 もちろん彼女は、「その人」が、単に「そこのスタッフとして」要らない、と言っているだけであって、「その人」の生存そのものを否定する意味でその言葉を使っているわけではない、のだろう。だから、彼女の言葉に反応してしまう、というのは、クビキリという言葉を使う人を見て、「『首を切る』とはなんと残忍な」と感想を持つのに類することであることはわかっている。……でもなあ、とちょっと思うのである。(■この人要らないんじゃないか 猿虎日記

似た例としては、「あいつ使えねえ」(→お前が使うための人間じゃない。)なんていうのもある。後段は小泉改革の話なども出ているのだが、この種の話は、本質よりもむしろ、言葉のセンスの問題という気もする。
猿虎の中の人は、言葉の表現に鋭敏だから、もしかしたら他にもいろんなシーンで傷つく思いを味わっているかもしれない。
で、件の彼女もきっと、公的職場での合理性の問題として言っているのであり、「人間的にそいつがこの世に要らん」とは言っていないと信じたい。信じたいが、マジで、つまりズバリの意味でそういうことを言ってる奴らがいることも事実。


まあ、そういうことをマジで言う奴こそ「この人要らん」