お月様が出ますとね  「夢の話」


闇夜には気をつけな、などと言いましたら、これはもうならず者が、かたぎの方を脅す言葉でございます。「月夜の晩だけじゃないぜ」などという台詞もありましたかね。脅し言葉に惚れていてはいけませんが、見事な丈夫振りではありませんか。
言われたほうも「何をっ」などと勇み立ったり、時には身震いしながら首元をそっと撫でたりいたします。良いですねえ、こういう言葉が凛としていた時代は。
そんな言葉を吐かれますとね、思い過ごしかと思いながらも、暗い夜道を何度も振り返ったり致します。そんなことはあるわけがない、まさかあるはずがないとと思いながらも、ね。

運命というのは不思議なものです。どのような方の人生にも、闇夜からふいに飛び出す物が、絶対にないと、誰が言えましょうか。




何の話だったでしょうか。そうそう。



今から書くことは御伽噺ですから、そう思って聞いていただきたいのですが、「何かを目指していた」女性は、何も彼女だけではなかったのですよ。二十数年前、やはり同じようなことを言っていた女性がおりました。いや、そういう女性は歴史を遡る限り、何人も、何人もおられたでありましょう。



ですが、私が今たまたま思い浮かべているのはこの2人の女性だという、そういう話です。不思議な縁でございます。



「何かになりたかった」女性を社会は最初、拒絶に拒絶致しました。心に残っているのは、その社会の厚い壁に何度も阻まれて憔悴しきっていた、彼女の青白い顔色です。本当に疲れている様子でした。あれが永遠に続くかと誰もが思っておりました



ところがね、お月様はいったい何をお考えになったのでしょうか。その女性の希望は、ある晩突然にかなえられることになりました。夢が叶ったのですよ。
ところがそれは、その女性にとって、余りに大きな代償を伴う「夢の実現」でした。お月様も残酷なことを致します。夢と引き換えに、大きな大きな殺生を用意しておりました。



私はね、思うのですよ。



どこのどなたでもね、1人の人間が「かく生きたい」と思うことはね、それはもうそれだけで罪なのではないかと。「かく生きたい」という気持ちはね、もうすでにそう思っただけで、どこかの誰かを殺しているのと同じことなのではないかとね。あなたも私も、生まれてきただけで、どこかの誰かを殺しているのですよ。生まれながらに、ね。
夢というのはそんなものではないかと、思ったことはございませんか?



彼女の現実は、しかし、そんな甘いものではなかったのですよ。



お月様はね、彼女の夢をかなえるために、最高に残酷な舞台を用意していたのです。思い出したくもないような、ね。

あの晩もお月様は見ていたのだと思いますよ。その惨劇の全てを。阿鼻叫喚の地獄をね。いや、もしかしたらその夜は闇夜だったかもしれませんね。それは私には、知る術はありません。ありませんが、心の中にその日のことは刻まれています。忘れることはありません。人づてに聞いただけですけれどね。



人間の夢はね、多かれ少なかれ、そういう地獄を抱えているのではないでしょうか。そんなね、綺麗なものではないんですよ。時には火炎地獄をね、時には灼熱の砂漠をね、追いすがる者を蹴落としても進まなければならないかもしれない。
犠牲になった者の頭を踏み潰してでも、進まなければならないかもしれない。心の中はしーんと凍りつきながらね。




そうしたね、現実が。安易に夢を口にする人にどれほどわかりましょうかね。あの方にどれほどの覚悟ができていますかね。

夢を口にするこのお2人のね、間に隔たる浪々たる距離を超えることは、お月様に向かうほどに遠い、遠い、至難の業なんだと、つくづく感じているところでございます。
生きとし、生ける全ての夢を追う者は、その路の冷たさを皆さん、お知りになったほうがいい。それ以上ない冷たさとこの世の過酷さを知った方がいい。


夢というのはそういうものでございますよ。



いや、脅し文句になりましたか。これは失礼致しました。



どなた様も、どうか忘れてくださいませ。あまりに過剰な夢を見過ぎぬよう、お互い心して生きてまいりましょう。私もまた1人の「夢を追う者」でございまして・・自業自得にならぬように、そこは・・笑

余計なことをしゃべり過ぎました。どちらさまも、どうかお休みなさいませ。またお月様の出る夜にお会いいたしましょう。

今夜はどうか、夢を見ずに(笑)お休みになってくださいませ。