うーん


eshek氏の言いたいことは、整理させていただくとこうだろうか。


●今後の私=BigBangの発言は、関わった部分(ことのは問題関連のみ)に留めるべき。オウム問題全般や、特にM氏の内面に関わる発言は慎むべき。
●BigBangが関わった部分については、もしも手記が遅れても、それと切り離して一度総括を出すべき。あるいは出せるのではないか。
●「追求側」(だともう自分は思っていないが)としては、手記発表の前に、具体的に今後論じる「範囲」を明言するべき。さもないと延々と問題が続く恐れがある。
●BigBangはこの問題の「終わり」(収拾?)に向けて可能な限り協力すべき。


そうだとして私の答は(何度も自分では言っているつもりなんだが)


●「被害者の家族に・・」はスポンタさんの書き込みに答えたもの。それを扱うことが不適切であるとは思わない。
●私は「ことのは問題」で関わった人間であるので、当然今後もことのは問題関連を中心にした解決には、尽力するつもり。
●ただし、当該の問題で起きたことへの解答は、それ以前の時間軸の中で総括的に語るべきとM氏が判断している以上、こちらもここより前は知らないと、きっちりと線を引けるものではない。
●無駄にこの問題を煽り、拡散し広げていくようなことは慎みたいが、前もって自分の発言の範囲にフレームを設定する気はない。もし設定するとしても、その境界線が必ず問題になる。つまり空手形は出せない。
●M氏の手記発表のタイミングで、「ことのは問題」の時系列的な問題もよりクリアになるだろうから、それとリンクして私の過去記事の総見直しと関連箇所の訂正と加筆を行うつもり。一意に、過去に自分が書いたエントリーの範囲で私の責任は生じていると思うので、そこはなすべきであると思っている。(M氏にもお伝えしてある)
●手記の発表はそう遠くないという風に、Mさん自身から伺っている。ので、それが10年後になるというようなことは今は考えていない。
●M氏の手記とこちらのエントリーが相互にリンクされた段階で、あるいはこの問題のある節目を迎えられるのではないかと思っているが、それが万人にとって「終わり」という言葉にふさわしいものになるかどうかはわからない。
●私はM氏の総括後のブロガーとしての復帰を望んでいるし、今もその気持ちに変わりはない。


【補足】

「公」という言葉が何か拡大解釈されて一人歩きしているようだが、「公」とは当時ネット空間、つまりブロゴスフィアを指していた。特定の個人だけで集まって「内々に」説明を行い、解決をつけることは不明瞭であるので、ネット上で公開して議論しようという意味合いで発言した。(このあたりは佐々木氏の「フラット革命」でも採録されている)それが、私の姿勢や発言を自分で「公的」であると言ったとか、「自分が公だ」と言っているなどという曲解は、私の主張の歪曲を目的にする解釈であり全く根拠がない。従って今までも今後も、私の発言は(当然)「個」であり続けるし、それ以上でも以下でもない。従ってどのような勢力の(敵味方を問わず)イコンにもならないと言っているわけである。従って「「個」ならいいが「公」を組み立てるためにはこうすべき」・・などの用法はぴんとこない。



「終わり」を巡る話はこのくらいにしたいのですが。