「メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス」に扱われた「ことのは問題」(4)-----Parsley氏の認識


Parsley氏がエントリー中でコメントしてくださっている。

Parsleyの「添え物は添え物らしく」(『「電波」の処方箋は読み手のリテラシー』あとがき)

まったく触れないのもアレなので、「ことのは騒動」に関して。
 私の見解は、以前書いたものから変化していないことを改めて明言したい(コメント欄のリンク先を参照)。この騒動を「炎上」とするならば、それは当事者のアカウンタビリティの問題というコラムで書いた見解も、その延長に過ぎない。
 私はこのブログで、この問題をあくまでネタとして(真面目に)取り上げていたし、DJ研でも「炎上」のケースの一つというスタンスで接している。そのように取り上げたことに対して是非はあるだろうが、「インターネットの言論とその影響」について論じられる場であったということは重ねて確認しておきたい。
 また、ことのは騒動と、オーマイニュースでの起こったあれやこれやは、研究会が開かれていたのと同時進行していて、状況の変化が激しかったので、事実に基づいているはいるとはいえ、論考がすぐに陳腐化してしまっている面は否定できないかもしれない。
 ちなみに、BigBang様がこちらで引用なさっている部分は、去年の秋に行ったディスカッション時のものだと記憶している。そのあたり、繰り返しになるけれど、この本が「ログ」であるゆえんです。


なるほど。ディスカッションがされている間にも、問題は進展していたわけで、今こうしてあらためて活字になってみたときに感じる、不正確さやそぐわなさは、ある意味で不可避であったとも。オウム問題に関してはもとより、この研究会で論じる場ではなかったということは理解します。問題は、デジャ研で論じられたかどうかではなく、構成メンバーが他の場においてもついにこの件に、正面から向き合うことはなかったということが、むしろ重要なのではないかと思っている。

実は、佐々木俊尚氏から『フラット革命』の献本を頂いて既に読み終えたのだけど、こちらではこの問題に関してかなりの分量を費やしていて、仔細に検証なさっている。あくまで個人的な感想だけど、『メディア・イノベーションの衝撃』で触れている部分は、その導入部と呼ぶにしても貧弱な印象を受けた。

「ことのは」に対する佐々木さんの認識に関しては、「フラット革命」を待った方がよさそうだ、ということですね。しかしタイトルからして嫌な予感ですが。