FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(5)


サリン事件】

BB「教義と運営をわける松永さんの考え方は、私にはそれなりにわかるところもあった。知らんくせに教義に突っ込むなとみんなに言われたけれど、そこに突っ込まないと松永さんを理解することはできないと思う。しかしわからないのは、問題のヴァジラヤーナの教義(「五仏の法則」教義)は別として、その他の教義に殺人の要素が全くなく、殺生は厳しく禁じられていたと。犯罪に手を染めた幹部が、もしも教義を守っていたとすれば、「教義に反する運営」がなされたということになりますが、それがわからない。なら幹部は教義を守っていなかったということなのですか?」


松永「そこは、・・・・やはりマハームドラーだったかもしれないと思います。前にも書いたけれど、あの人(麻原)ならやるかもしれないと。つまり失敗させようと思って、故意にやらせたという要素があるのではないかと。波野村、あるでしょう?あそこへの移転の日時は占いでは最悪の日取りだった。それがわかっていて、あえて移転を決行したからみんな驚いた。そういうことをやるところがあるんですね。だから、失敗するとわかってやらせたかもしれない。まあマハームドラーの考え方については、もっと詳しく書くつもりでいますので、今はこのへんで。」


BB「それは、あの「情けない詐欺のオヤジ」と世間が思おうとしていることと違いますね。ある意味で麻原を神格化する見方になってしまいませんか?」


松永「うーん・・そのあたりは正直わからない」

BB「結局なぜ事件が起きたかは、わからないのね。松永さんにも」

松永「そうですね。全くなかったわけだから。私が触れていた教義には、そういう殺人を正当化する部分が」

BB「真夜中氏なんか、ただの詐欺の舞台装置であると言っていますけれど。教義もそのためのツールだったと。」

松永「読んでいませんが、そういう見方をしてわかったつもりにはなれる人もあるかもしれませんが、私はそういう見方には賛成できない。麻原の本当の考えがどこにあったのか、そういうところはよくわからないというのが正直なところです。」


BB「この間お書きになった、あなたの教師の例を読んだんですけれど、あれには大変に違和感を覚えたんです。ほら、理科を教えていた教師が何をしていたかなんて国語の教師にわからないという。(ここは私の記憶が正確でなかった。文末参照)でも、中にいるとき、本当にわからなかったんですか?事件について」

松永「教義にそういうことは書かれていないですからね。殺生を禁じていたわけで、ゴキブリも殺さなかった。それは報道されているでしょう?」

BB「いや教義がどうではなくて、どうもあの人は怪しいなとか、なんとなく最近様子が変だとか全く思わなかったんですか?」

松永「今になってみれば、仮谷さんのことがあった当時は、ちょと不穏な動きがあったかもしれない。ちょっとおかしいなというような。でもこれは・・今は・・ちょっと言えませんね。そのうち書くかもしれない」


BB「米軍の毒ガス散布のことなんだけど、本当にそんなことを信じていたんですか?私から見ると、すごく荒唐無稽な気がするんだけれど。」

松永「あの頃は、上九周辺の農家には盗聴器が仕掛けられているとか、実際に信者がみんな体調が悪いとか。そういう話がありましたしね」

BB「事件直後までは信じていた?」

松永「そうですね。信じていた。」

BB「責めるわけではないんですが、騙されていたというか、そういう面で自分を悔いる気持ちとかは全然ないですか?やられたと。あなたを見ていると、そこのところが・・・。教義になかった。わかるわけがない。だから、自分とは関係ない。わからなかったんだからしょうがないと言っているところが目に付く。だから反発されると思うんです。結局松永さんも騙されていたんでしょう。自分は騙されていた。恥ずかしいとか。悔しいとか。僕ならそう思うと思うんだけれど。」


松永「・・・・うーん。そういう気持ちはないですね。・・」

BB「松永さんも書いていたけれど、麻原の朝ナマね。あれ、私も見ていて、実は凄いなあと麻原は本物じゃないかと思った。幸福の科学とかめちゃくちゃだったしね。やはりあなたもあの後凄く信者が増えたと書いておられた。でもね、その後上祐とか嘘つきまくったでしょう?僕はすっかり最初だまされましたよ。オウムがサリンを撒いたのではないのではないかと思ってしまった。松永さんも事件を信じていなかったんでしょう?」

松永「オウムに対する攻撃だと思っていましたからね。」

BB「だいぶたってから、段々理解したんですか?再度戻ったときには、もうオウムの犯行だと思っていたんでしょう?」

松永「その頃はもう思っていましたね。」

BB「だまされたとか、悔しいとかそういうことはありませんでしたか?」

松永「教義にそういう部分がないですからね、わかれと言われても無理だった」

BB「いや、教義じゃなくて、あなたたちを騙していた人間がいたわけでしょう?それは運営サイドなのか、麻原かわかりませんが。いたわけですよね?悔しく無かったですか」

松永「それはないです。別に殺人を手伝っていたわけではないし、教義の中にそういうことがない以上、わかるわけがないですよ」

BB「でも、私なんかですら悔しかったですよ。例え一時でも、テレビの中での上祐を信じたことが。後から自分が馬鹿だと思いましたもん。それが松永さんは間近にいたわけでしょう?悔しくないというのがわからないなあ」

松永「いや、悔しいとかそういうのはないです」

BB「でも松永さん、そういうのを指して、「抜けていない」って言われるんじゃないですか?。松永さんだって、自分に全く間違いがなかったというんじゃないでしょう?後5年くらいたったら、すごく松永さんの気持ちも変わるかもしれないですよね。」

松永「それはわからないですけどね」



※教師の例

エレニさんのサイトのコメント欄で(現在はプライベートモード)necoさんと松永さんの間でなされた、以下のやりとりを指す。エレニさんの協力を得て、再現してみた。(もしもどなたか、不都合があれば言ってください。)


neco 『松永さんにお聞きしたいんだけど・・・
家族から犯罪者が出たような感覚という話がありましたね。

宗教団体での言論の場に携わっていらしたあなたと、
結果として団体の構成員による犯罪が発生したという事について、
原因と結果の関係をどう考えていらっしゃるのか、
よろしければ、もう少しお聞かせください。

もちろん、完全な条件関係があるとは思いません。あったらあなたも既に逮捕されている。
しかし、世界の在り方を深く追求する宗教と、世界の切り取る道具としての言語とは、深く関わるものではないのでしょうか。
毎日オニギリ作ってただけとは全然違うように思うのですが。

一般論や抽象論抜きでお答えいただければ幸いです。』

# matsunaga 『私が「テロをやりましょう、クーデターをやりましょう」と言っていたのであれば、責任があるかもしれませんが、そういう事実はありません。また、テロ人員を集めることを目的として言論を用いたわけでもありません。したがって、ここに因果関係は皆無。

学校で教師が何か問題を起こしていたからといって、数学や理科や国語の授業の内容が間違っていたということにはならないのと同様です。』

# neco 『ご回答、どうもありがとうございます。
私は授業の内容を直接問題にしたいのではなく、具体的にそのような教科書や学校のパンフレットの作成に携わっていた事の意義をお聞きしたかったのですが。問題教師自身ではなかったにしても、給食のおばさんとは、ちょっと立ち位置が違いませんか、と。』

# matsunaga 『大筋ではあの記事は誤報でした。それは前提にあります。野田の記事の目的が明らかに「きっこの日記民主党プロパガンダ装置であり、それを松永がやっている」という妄想に基づいて報道価値があると思いこんだのであり、たまたまそれが旧知の宿敵だったのと、合法とはいえない手段で個人特定を行なうことが容易にできる環境にあったというだけの話です。そして、仮に事実についての報道であったとしても、事実に見合わない規模の報道被害があったと考えています。

necoさん。問題教師というのは、たとえば放課後に女子高校生と援助交際していたというような話です。じゃあ、その教師に教わった内容について全否定すべきなのか、あるいはその教材作成を手伝ったら何か内容に問題があるのか、という話です。でもあの先生、教え方はよかったよね、と言ったら、全否定しないことが責められるわけですけど。「不純異性交遊はいけません」と授業で教えていながら、裏ではそういう行為があった、という場合、「いけません」という教材を作っていたことに責任があるのか、あるいはそういう教師の行動を知らずに学校の勧誘パンフを作ったら援助交際の共同正犯か何かなのか、ということです。』


ここは大きな話なので、また後で。