FLASH報道から1年・松永英明さんとの対話(3)


【手記】

BB「手記は書いておられるんでしょう?まだ」


松永「今は中断しています。あれは、はてなグループの公開「停止」設定にしただけですから。とりあえず中途公開をしないことにしたんですが、あんなに書くのが大変だと思わなかった。特に事件周辺はナーバスな要素多くなりますから」


BB「やっぱり精神的にきついですか?」


松永「というより、特に事件前後のところは、大事なところだから事実関係で間違えてはいけない。調べて書いていくと本当に大変。その途中で、ああいう風に曲解されて中傷されると余計書けなくなる。」


BB「思うんですが、本来、中途で公開するというのは無理だったかもしれませんね。僕も途中までは、簡単に考えていたけれど、読んでいるうちにこれは大変な作業だったんだとわかってきた。松永さんは入院中にほとんど書き終えていたのかな?と思っていたんですが。最初はもう少し軽く考えていたんじゃないですか?」

松永「そうですね。実際あんなに長くなると思わなかったですね。もっと短くまとまると思っていた。」


BB「これもずっと松永さんから僕は誤解されていると思うんだけれど、謝れとか詫びろとかそういうこという気は、少なくとも私はないんですよ。これは何度も言っている通り。そういうことをあなたに強いる気はないんです。
でもね、シガチョフとか読んで、すごく驚いたというか、やはりあなたしか書けないものがあるんですよ。だから、こういうとまた強制とか思われるとか困るけれど、やはり何とか書いてもらいたい。」


松永「シガチョフは、何で急いだかって言うと、ミドが勘違いして全然違うことを書いていたから。それでそこだけ先に書こうと思ったんです。とにかく最初に考えていたよりもずっと大変な作業だった。書き始めてみたら、章立てもどんどん書くうちに増えてくるし、もっと簡単にまとめられると思っていたんですが、特にこの10年は間違えたことは書けないから、相当事実関係を調べて書かなければならない。それが書いている途中で、自己顕示だとか、やっぱりオウムが抜けてないとか言われるとね、もう本当に書けない」


BB「もともと、途中で書いては公開し、公開しながらまた書くというのが無理な形式だったのかもしれませんね。一気に書いて、全部読んでから批判しろと、ばっと出すとか。僕は、とにかく松永さんが書き終わってから喋ろうと思って、途中でいろいろ言うのはやめようと思っていたんだけど。懇談会のところにもいつか書き進むだろうし、その前の経緯から読まないと、部分ではね」


松永「一つの事実を書こうとすると、そこだけ書いたら誤解されるから、なぜそれがそうなっているかということを書かなければならない。それが積み重なると、あれもこれもとなって大変になってくる」

BB「あの「閾ぺディア」?それも見据えて作ったのかなあと思ったんだけれど。もしくは単にWikipediaでの出来事でのストレス発散だったのかもしれないけれど。面白いとは思いましたが。」

松永「手記のためということはないけれど、まあそういうことも考えられるかなあというのはありますね」

BB「今度(手記を)もしも公開するなら、いきなり出さないで、いろいろ複数の人にあらかじめ読んでもらったらどうでしょうか。編集者みたいに。いろんな立場の人にあらかじめ読んでもらえば、松永さんが気がつかないような部分がわかるかもしれない」


松永「うん、そういうのはあるかもしれませんね。」


BB「Wikipediaの編集のトラブルの件は、僕はわかる気もする。自分についてあそこでぼろくそかかれたら、いくら本人編集が悪いとWikipediaガイドラインにあっても、やっぱり直そうとすると思う。ただ松永さんのやり方は、野田さんに対してのところとか、ちょっとねえ・・」

松永「あれはアンチでやったんですよ。野田氏だってこういう風に書かれたらどうなるのかと。それだったら野田氏も消す。私のところも消す。両方消せばいいと。」

BB「まあ、そのやりあってる様を見て、はっきり言って馬鹿だなあと思われるとか、恥をかくとか、そういうのはあるかもしれないけれど、テーマにされている本人に、編集するなというのはどうなのかなとは思うけど、それはともかく、前にも言ったけれど、上祐を編集するなんて絶対やめたほうがいいですよ。あなたはもう脱会していて関係ないんだから」

松永「それはね、代表派からも反代表派からも嫌がられる。もうあれはね。」

BB「手記は、入信前後の前半部が、あまりに生き生きとしているから、そこで批判の対象になるんじゃないでしょうか。最後まで読めば、きっとそういうことではないんでしょうけれど、途中でやめられちゃうのもまずいと思うんですね。今は非公開になっているからいいですけど、松永さんのファンは多いし、あなたが思っている以上にはてなブックマークとか影響力あるから、あれ(前半部)を読んで若い人とかに勘違いされては困る。」


松永「それは絶対ないですよ。だってやめてるんですよ?私は最後に。やめた人間ですよ?その人間の書いたものを読んで、オウムに行くとかそういうことはあり得ないでしょう」


BB「いや、それははわからないですよ。みんなちょこっとしか読まないで、勝手に誤解するんですよ。それは松永さんも知ってるでしょう?だから、前半だけ読んで、今は後半はないんだから、「あーいいなあ」と思う人間はいないとも限らないと思いますよ。」

松永「河上イチローのときに、信者であることを暴露されて、その後教団のサイトをやるようになりましたが、それでも教団に入信したなんて人は誰もいなかったんですよ。」

BB「誰もいないかどうかわからないではありませんか。」

松永「いや、あの当時の状況からすれば、河上ファンでもしも入信したような人がいれば絶対に僕に連絡してくるか、耳にはいるはずですから。そういう人は確かに誰もいません。」



※ことさらに聞かなかったが、河上イチロー時代に、読者の一部を勧誘させて教団に入会させたというような、疑義があるいは提示されたことがあるのかもしれない。実は僕は河上イチローをリアルタイムで知らないのだが、知っている人からすれば実にカリスマ的な存在であったようである。そこを本人は気にしている。何度も「河上ファンで入信した人などいない」と強調されていたのが印象的だった。
手記に関しては、私の意見もあるいは取り入れてくれたのかもしれないが、別形式で準備を再開されたようである。公開できる時期については未定のようであるが、少なくともそういう試みはまだ続けておられるようだ。
手記が中断したことについては、いろいろ理由もあると思うが、僕は「黒崎夜話」だけが原因ではなく、松永さん自身が難しい時代を書くことに差し掛かって、内面の逡巡だとか、迷いだとか、言葉を選ぶことだとか、そういう面での心の負担も出てきたのではないかと思っている。お聞きした印象でも、やはりそういう面もあるのではないかと思った。