CMに神は宿るか


ひところ、CMにこそ宿るものがあると信じていた時代があった。僕個人がというよりも、時代としてそういう気分があったと思う。物を売るための小ざかしい表現でしかないものに、なぜこれほどの力が宿るのか。不思議であると同時に、惹かれた。自殺したCMディレクター杉山登志の遺書にあった次のフレーズを読んだ時、こうした僕の感じていた「魔」に何か答が出たような気もしたが、それも錯覚だったかもしれない。


リッチでないのに リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません
夢がないのに 夢をうることなどは……とても 嘘をついてもばれるものです



CMの仕事はできなかったが、セールスプロモーションの世界にはしばらく身を置いた。


バブルの時代にそんな場所に身を置いているうちに、夢は根こそぎ僕から去っていったのだが、やはりそれでも、CMに何かが宿る瞬間というのはあるのだと、こんなドキュメンタリーを見ると、思う。あるいはこれも錯覚かもしれないが。



資生堂CM「新しい私になって」 CM作成ドキュメンタリー 1
 



資生堂CM「新しい私になって」 CM作成ドキュメンタリー 2



資生堂CM「新しい私になって」