下北沢の色と匂いと黒糖プリッツ


さて、閑話休題。陰鬱で不評なエントリーばかり続けていると読者が離れるので別の話題も。
昨日の夜、誰かさんが夕食を膳に盛り付けて悦に入っていた頃、下北沢の沖縄居酒屋で、いい調子になっていたのは私です。

粗製乱造のエントリーの傍らで、よくそんな暇があるねって?
ああ、僕は眠らない人だから(嘘)


店の暗がりで、携帯電話でブログを覗き、誰かさんの恒例の罵詈雑言を読みながら、泡盛を飲むのもまた乙なもんだったぜ。へ。
ああ、みんなやってる、やってるとかね。


下北沢の街には20代の頃、1人で何年か住んでいた。
井の頭線の線路脇の小さいアパートで、朝は電車の轟音でたたき起こされた。6畳1間ですね。
せっかく下北沢に住んでいたのに、会社と家とを往復するのが精一杯だったし、何だかあの街の飲屋街にも馴染めないままだった。
そんなに当時は酒も好きじゃなくてね。


休日にはアンナミラーズに行って、遅い朝食を食べ、意味もなくウェイトレスをぼーっと眺めていたのだ。
つまり、けろやんみたいな人だったのである。(嘘嘘、ごめん)

#あ、そういえば、けろやんのあの写真のせいで、ゴーヤが食べたくなったというのもあるよ、沖縄居酒屋に行ったのは。



時はバブルで、当時イベント企画の仕事が地獄のように忙しく、本当に余裕がなかったせいもある。
やっと空気を吸って、やっと稼いで、やっと眠って。その繰り返しだった。
その頃勤めていた会社の上司が下北沢好きで、他へ引っ越したにも関わらず、ずずいと小田急線を僕についてきて、わけのわからぬアヤシイ、ナチュラルフードの飲屋(と書くと解る人はわかってしまうな。きっと)だとか、線路際の横丁の屋台のような飲み屋街だとかに連れて行かれて、朝まで粘られて(何しろ僕の家は下北だったから、途中で帰ると言えない)。


昔話を延々と聞かされて、自慢話とか。
いやだったなあ。ほんと。

上司に紹介された店にもとうとう一軒も馴染まなかった。


でも月末になると金がなくて借りたりして。
やれやれ。なさけないもんだ。


で、ああいう年寄りには絶対になりたくないと思っていたけれど、いつの間にか、もう当時の彼の年を過ぎてしまった。



もしも僕が今、誰かとは違って、目がきらきらした素直そうな若者を見つけたら、きっと下北沢に行き、昔話などしてしまうのだろうかね。いや、いや、それだけはしたくない。


ただ、今思うことは、この街に住むには、やはりあの頃若すぎたかなあと言うことだ。



アヤシイ飲屋の楽しみ方も知らなかった。
屋台で飲んだくれるオヤジと軽口を叩く寛容さもなかった。
ビルの片隅の、暗い店の奥にいる顔色の悪いオネーサンと世間話をする余裕もなかった。
肩に力が入りすぎだったんだねー。きっと。


今の下北沢は、僕が住んでいた頃に比べれば店の数も、格段に増え、歩く若者の数も格段に増えた。
以前に比べれば「若者度」が高まったようにも思えるけれど、さあ、どうだろう。


ぱっと見のイメージと、実際に深く潜行して初めてわかる、その街独特の匂いとは、何かが確かに異なる。
若いときには、ただもう訳もわからぬうちに喧騒の中を生きていた。
お祭り騒ぎの中を、無我夢中で歩いていた。見えていたけれど何も見えていなかった。
横にいる人のことも。すれ違った人のことも。
酒や惣菜の匂いも。


自分の心と肉体の疲れを知るころになって、見えてくる微かな街の色はあるし、光が確かにある。
この年になって、ようやく下北沢という街を「いいなあ」と素直に思えるようになってきた。

そんなもんだ。



写真は、沖縄居酒屋にあったミニ箱のお菓子。「沖縄限定の黒糖プリッツ」。
なんか、めちゃくちゃ旨かったぞ。
また食べたい。


まとめて「大人買い」したくなった。

(なんだ結局菓子の話で終わるのかよ。大人になれんなあ)