「風評被害」とは何か-----空疎な観察者は誰か


2BAD(売文日誌)
に答えよう。

 ・BigBang氏が公開した情報で「pligg」を想定するのは難しい。
 ・一方で、松永氏との関連からオウム関連でないかとは疑える。
 ・スラッシュドットなどの関連が示唆されようと、その示唆は単に
  可能性を読者に与えるだけで特に確定的な情報にはならない。


それはあなたの実に身勝手な読み方であろう。読者の多くは「ユーザーカルマ」の説明を、当時泉さん自身が企画書を書いていなかったのではないかという1つの根拠例示として読んだ。違うならファイルの所有の問題と一緒に、泉さんが明言すればよい。そもそもあなたは一貫して「ユーザーカルマ」という用語が、泉さん=オウム説を推し進めたと読んでいるようだが、実は何のことはない。本来の検証目的を外れて、ここで「脳内疑惑」に走ってしまったのは、売文さん、あなたなのである。それ以後、あなたはその線でしか物を考えられなくなった。実際私はその危険については、当初のエントリーにおいて「スラッシュドット」の例示によって希釈している。この希釈が私にとっての「程度判断」である。それはぎりぎり十分であったと考える。


 ・BigBang氏の公開した情報の読者は「pliggとの関連」という
  「グレーをシロに近くするための情報」を伏せられているために
  「松永氏との関連」という「グレーをクロに近くするための情報」
  から「しか」判断出来なかった。スラッシュドットなどとの関連も
  明らかではなかったため「クロに近いグレー」は打ち消されない。


該当ソフトの存在を自主的に示唆しているのは私である。検索すれば「Pligg」にたどり着くことは不可能ではあるまい。それはともかく、スラッシュドットの例示が「グレーを黒に近くする情報」で、なぜ「Pliggと公表していれば」「グレーをシロに近くするための情報」だと思われるのか。「ユーザーカルマ」が複数のシステムで、すでに使われている用語であるとコメントするという処置を施しているのに、、「グレーをクロにする」としか「判断できなかった」などと結論付けるあなたの乱暴な議論はどこから来ているのか理解できない。


しかしユーザー特性を計測する単位が「カルマ」って(笑
松永ももうちょっと社会常識を知ってから書けばいいのに。
(5月22日エントリに引用したR30氏のところへのコメント)



このようなあなたの主張に都合のいい(しかもR30氏への!)匿名コメントをよそからまで引用してきて、一体どうしようというのか。あなたらしくない杜撰さである。

この類のコメントは、「ことのは問題」の派生以来、山ほど寄せられている。私のところにも、根も葉もない憶測は山ほど。もちろん泉さんにも、松永氏にも。大事なことは、いい年をした大人はこのような発言の1つに煽られて、GripBlogに疑念を持ったのではないということである。むしろ適切な時期に、適切な説明がなされなかったことによりGripBlogは、そして泉さんは信用を失ったのであり、「ユーザーカルマ」という言葉1つががそれに果たした役割などないに等しい。この言葉に過剰に反応してこうして粘着する「一部の人」を除いて。
売文氏は「ユーザーカルマ」を必要以上に重大に自己認識してしまったために、他の多くの重要な問題に全く目がいかなくなってしまったのだ。自覚はないのだろうか。(おそらく今後のテーマにもなろうが、「ume実在/非実在説の問題視」も同じである。)


では売文氏はなぜこんな袋小路に迷い込んでしまったのか。それは氏の観察者としてのスタンスに無理と矛盾があるからである。


私は明らかに「ことのは」問題における「一翼」を担っている。つまり、泉さん、umeさん、松永さんに明確な説明を求めようとする立場である。その行為自体に多くの意義と問題が混在していることは確かであり、私と反対の極の見方をする人たちももちろん存在する。

天秤の方向が仮に私の方へ傾いたとすれば、反対の極にいる人たちは、それに対抗する説明なり、根拠なりを示せばいいのであり、それが本来議論というものの求められる形である。ネットにはその機会が十分に保証されていると思う。事実と異なる憶測がなされたと思えば、このように反論すればいいのである。反論が困難であるという人もいるが、その「困難の極」まで努力がなされたとはとても思えない。松永氏インタビューでもほとんどすべき説明はなされていない。

ことのはを巡る未解決の問題・備忘録---夏の宿題編


ところが売文氏は、それについては全く問題にしようとしないで実にユニークな立場を選んだ。それは天秤のいずれにも乗らず、「天秤」自体を観察してそのバランスのみを指弾するという実に都合のいい立場である。さらに氏はいずれの側にも乗らないことを装いながらも、まんべんない公平な観察も避け、「風評被害」の一点に絞ることを基本姿勢として選んだ。



風評被害」とは何か。

一般的に「風評被害」とは、「事実と異なる」あるいは「不適切な」報道がなされたことで、言及された側に発生する被害について言う。肝心なのは、その報道が「事実と異なる」もしくは「不適切」であるということである。つまり私の言論が「風評報道」に属するとするならば、「それが事実と異なる」かもしくは「不適切」であるかの、いずれかであることになる。それに関する説明と証明の責任は、「風評報道論」を主張する側=売文氏の側に明確にあることを氏は自覚しなければならない。さもなければ、今度は氏の側が印象操作を目的とした「根拠なき風評」を唱える側として批判される立場に、いつでも立ち得るのである。


私の言説は「事実と異なる」のか。


それを主張するなら、売文氏は松永さんや泉さんの側に立ち、私の言説が「事実ではない」ことを証明するか、すくなくとも彼らにとって適切な事例を示し、彼らを有利にし、私を不利にする客観的事実を指摘すればいい。ところが売文氏はそれを行う気は全くないようである。むしろ私の批判の根拠が不十分であるから(不十分である理由は、売文氏の努力にも関わらず明確に示されていない)私に「彼らの信用を回復すること」を配慮すべきであるとまで言っている。(先にはこれ以上ネットで言論を続けること自体中止すべきであるとも言っている。)自分は問題の進展にも解明にも全く寄与せず、天秤に乗る私に対して、「対立する側」の信用回復「のみ」を図れと無理なことを言っているのである。彼らから、しかるべき回答がある程度までなされたのならともかく、簡易に答えられるはずの疑問にも何一つと言っていいほど答えず沈黙を続ける人たちを前にして、そのことを不問にして、それを私の側のみに強いるというのは誠に不可解なことである。



私の言説は「適切でない」のか。


適切でない例として売文氏は「ユーザーカルマ」(とume氏の実在/不実在)について言及し、「Pligg」の名前を出さないなら、そもそもそれに一切触れるべきでなかったとまで言っている。システムの名称をこちらが先に出すことは、相手方にビジネス上の損害を与える可能性があると説明しても、それについては十分に答えず、出すなら「ユーザーカルマ」と「Pligg」を両方出せ、さもなければ両方出すなという。この勝手な思い込みによる二者択一論は、全く不可解である。




「両方出すべき」というなら、泉さんがビジネス続行の意志を持っていた場合、私がビジネス上の機密の問題に触れ、彼らに新たな被害を発生させ、私も訴訟リスクを負ったかもしれない可能性に関してなぜスルーするのだろうか。



「両方出さないべき」となれば、「ユーザーカルマ」を、企画書当事者の責任能力の問題の例示のために必要であったと言う私の問題意識を、無視することになる。そもそも氏は、「ことのは問題」の根幹の問題に関して無関心であるとしか思えないのでわからないではないが、はなからこちらは同意できない論である。



おおよそ議論を行う場合、いずれもが全く傷つかずに行うことは困難である。無論、無用な混乱や障害は避けなければならないが、それを重要視するあまり、より重要な問題に関する議論を封殺していい理由はない。

そもそも未だ中途である問題に関して、なぜこのように早急に「一方的な信用の回復」に集中するのか。順序が逆であり、著しく公平を欠く態度であろう。相互が互いの思うところをぶつけあい、ある一定の「真実に近い」事実が確認できたところで、過去の発言を互いに検証し、その結果の反省ならまだわかる。その場合もまず「天秤の両極」の関係者相互においてなされることが最も重要であると思う。つまり私と、泉さんや松永さんとの間で、である。観察者に徹するなら、あなたは天秤に無責任にウェイトを加えるべきではない。
そもそも売文氏は、一体何を根拠にしているのかわからぬが、「信用回復」を図るべきであるという自身の価値を最優先にしてそれのみを中心に論じ続け、報道機関構想や政党懇談会に関して松永さんや泉さんが果たした役割の究明には、全く関心も問題意識もないようである。そのことへの自戒は全くないのか、あるいは意図的に無視しているのか。



印象操作であるのかどうかについて、特にここで書こうとはしない。必要ないからである。



いや必要である。違うなら違うで「印象操作ではない」と言えばよかろう。他者には執拗に詳細の回答を迫る御仁がなぜ言及を避けるのか。と今度は私に指弾されることになる。


重要な事は、BigBang氏が「ユーザーカルマ」という用語を出す事を「問題だと考えなかった」という事である。風評への意識がその程度だという事である。松永氏や泉氏についての意識である。そしてとりわけ、また、オウムの問題に関する発言をそれほどの問題意識もなしにしたという事実が問題であろう。



私の「風評への意識」が重要なのではない。実際に「風評被害」をなしたのかどうかの、判断が重要なのである。そして「ことのは問題」への「それほどの問題意識もない」のはあなたの側であることを厳に知るべきである。


こちらが5月22日づけエントリで指摘した「既出論点」を「疑義該当箇所が一向に提示されないので、こちらで自主的に探してきた。」と称して再掲する事は整理ではなかろうに。



該当箇所を提示することは重要な「整理」である。事実の検証よりも身勝手な論点を重視するあなたらしい態度であるが、「既出論点」などと決めつけたのはあなたであり、私はその論点の存在自体に未だ同意していない。あなたのミッションは、論点の提出ではなく、私のどの発言のどの部分が「風評にあたる」と考えるのか、正確に指摘することであろう。それは未だに不完全にしかされていない。その作業はいつも他人にゆだね、あなたはこの努力を明らかに欠いて脳内で恣意的なまとめしかしない傾向がある。おそらくあなたの苦手な作業であると拝見するが、なさらないなら周囲は「空虚な脳内の抽象論」と感じる。


もう少し触れる。


「ユーザーカルマ」は「Pligg」以外の多くのソフトウェアで使われている用語
で、ビジネス上の独占的工夫ではない。従って、公開しても、相手方に「著しい
損害」を与えることは考えにくい。しかしソフトウェアの名称はそうはいかない。
(BigBang氏のところの前掲エントリ)

  これが「オウム関連疑惑をもたれないような通常の場合」をしか想定しない一般論
  でしかなく、現実にその疑惑を追及されている泉氏らの場合には「適用できない」事。


一般論ではない。このケースに十分に適応できる論である。「現実にその疑惑を追及されている」からこそ説明が必要なのであり、情報を明かさず本来の責任を放棄して沈黙する態度こそが、糾弾されるべきである。


   BigBang氏は始終この軸でしか説明が出来ていないのだが、空疎な話でしかない。



その言葉はあなたに返そう。空虚な抽象論と根拠のない「風評論」にのみ逃避し、旗色に無関心な観察者であるあなたにこそだ。「あなたの指摘は空疎である」上に客観的事実の提示すらされていない。


現実には松永氏の関与「こそ」疑いの対象だったのだから、その軸に沿うべきだった。
そしてその軸の検討には「グレーをシロに近くする情報」もがセットで検証される必要
がある。さもなくばいたずらに「クロに近いグレー」認定ばかりが横行するからである。



この一節に至っては、もはや意味をとることすら不可能である。「松永氏」だけではなく、問題は報道者を志向する泉氏の責任でもあった。であればそれについて言及するのはしごく自然なことである。



>セットで検証される必要



笑・・ではあなたがその検証されるに足る反対情報を探してくればよかろう。私は天秤の管理人ではない。主張をなしているのである。セットで検証するのは観察者たるあなたがなすにふさわしい。「グレーをシロに近くする情報」にしか興味がなく、問題を公平に俯瞰できないのはあなたのほうであろう。


「ユーザーカルマ」については、文末に引用したような、有益な分析も出た。そろそろ出尽くし感があるのでこのあたりにしたいと思っている。




【参考】

風評被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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風評被害(ふうひょうひがい)とは、災害、事故、不適切あるいは虚偽の報道などが生じた際に、生産物やサービスの質の低下を懸念して消費が減退することにより、それらとは関係のない業者が経済的損害を受けること。



【参考リンク】

「Grip 報道メディア」における「ユーザーカルマ」とは(真夜中は別の人)