ユーザーカルマ異説


■スラッシュドットの「カルマ」とは (真夜中は別の顔)

ひとつ指摘しておきたいのは、少なくともスラッシュドットにおいて、カルマは獲得することが「良いこと」であり、失うことが「悪いこと」であるということだ。これはオウム的な価値観とは真逆であろう。彼らの目標は「カルマを落とす」ことであるようだからだ。カルマが時として「業」と表されることも考えると、オウムに限らず仏教的な価値観から考えても、スラッシュドットは逆の発想をしていると言える。


ふむふむ。なるほど。