スポンタさん。宙に向かってつぶやき続けるのは終わりにしよう


【インテグレートを望まない発信当事者(スポンタ通信2.0)】



さて、GropBlog・M氏問題において、カルト者が関与する前例をつくることが市民参加型ジャーナリズムのひとつといえるネットジャーナリズムの悪しき前例となることを私は避けたかったので、私なりの関与をしたつもりである。そして、トリル氏などがその問題を指摘してきたのも同様の使命感があってのことだと思っている。

だが、当の問題提起をしたブロガー氏は、「市民参加型ジャーナリズムなどに興味はない」と仰る。私は、彼のことを詳しく知らないので、その言葉の真意を探ることはできない。私は彼が、オーマイニュース日本版のコメント欄に書きこみをしていたので、あるべき市民参加型ジャーナリズムをめざすために力をあわせることができるのではないかと彼のブログにコメントをしたのだが…。

彼のステークホルダーがそう言わせているのか、GripBlogの報道機関成立構想で迷惑をうけたから、これ以上は勘弁して欲しいと思っているのか、それは分からない。
ただ、そこから私が読み取るものは、「インテグレートを望まない個の発信がある」ということだ。

ブログ氏はメイルだけのやり取りを選択することもできたはずだ。だが、彼はそれをせず、自らの憤りを第三者に見える形で提示した。これは明らかに個を発信したことになるし、ブログという第三者に見えるメディアで自らの憤慨を吐露したことは、第三者に感情を動かしてもらうことを自らが望んだといえないだろうか(最低限のインテグレート)。それでいて、彼は自らの発言があるべき世界の構築につながることを意図しない(私怨を公憤に高めようとしない)。
私はブログ氏の不明を責めているのではない。
根本的に当事者とはそういうものであって、自分の意見を言いたいという衝動はあるものの。他者の意見を聞きたいとは思わない。それが自分の反対の意見ならなおさらだ。そして、個の問題として面倒に巻き込まれているのに、インテグレートなどに関わると、これ以上厄介なことになるので御免だ。と感じているのだ。


あなたに足りないのは、他でも言われているが、「自分ルールを超えた」発言ができないこと。そして人のエントリーを読み込んだり、情報収集をする力が不足していること。


>当の問題提起をしたブロガー氏は、「市民参加型ジャーナリズムなどに興味はない」と仰る。


該当部分は私が本サイトのコメント欄で



ともあれ、僕は「市民参加ジャーナリズムとはなにか」的議論には正直あまり関心はありません。オーマイニュースが何か変なことを書けば突っ込むし、(この間の米軍の基地と北朝鮮のミサイルの記事はひどかったが)JanJanでも同じ。

「形態」や「あるべき論」としてはあまり関心を持っていないんですね。いい記事が上がるかどうかで、それが「市民記者です」と言われれば、あっそうですかと。

と書いたもの。

これで伝わるかと思ったが、書き方が甘かったようである。


わかりやすく言えば私は、あなたの唱えるような「市民参加ジャーナリズム論」のフレームには残念ながら興味がないということであり、「市民ジャーナリズムそのもの」への無関心を標榜しているのではない。また「厄介なことになるから」インテグレートに関わろうとしないのではなく、あなたの唱える「インテグレート論」に関心を持つことができないのだ。それが読み取れない読解力は非常に残念である。(「あなたの」と明確に書かなかった私が甘かった)


私の視点からすれば「インテグレート」などという独自言語で、現実の事象を見ず論評を避け、自分だけの枠にこだわり、事を空に放り投げているのは、スポンタさん、あなたである。


「ジャーナリズム」とは何か。「市民参加ジャーナリズムとは何か」。あなたはそれに自らの抽象的理論のフレームを当てはめることばかり熱中していて、しかも思い上がった「孤独」を偽装している。あなたは「誰からも理解されない」立場に甘えているのである。


「ことのは問題」において、もしも僕が


>彼は自らの発言があるべき世界の構築につながることを意図しない(私怨を公憤に高めようとしない)。


のであれば、身の危険まで喧伝される中にあって、僕はなぜあれほど多くの攻撃的とも言える、エントリーを書いたか。なぜ、親しくなった欠けがえのない魅力的な人たちをことごとく敵に回したか。自分の個人情報まで脅かされる中にあってまで書き続けたか。そしてそれがまだ終わっていない中途の作業であることも、あなたのその目には、ことごとく見えないのか。あなたはそれについて深く考えたことがあるか。


あなたは早くから「ことのは問題」にも発言を繰り返してきたが、あなたは「ステークホルダー」と「インテグレート」そして「ゴシップ」以外の何を口にしたか。「幻の市民参加ジャーナリズム」のフレーム以外何を口にしたか。湯川さんと幾度も交流しながら彼に何を伝えたのか。


もしもネットにジャーナリズムが生まれるとすれば、机上の論理を人に性急に当てはめるような行為から生まれるのではなく、1つ1つの具体的な問題に対して、あなたが、そして私が、人がどのように対応していくか、そうした血の滲むような具体的な行為の蓄積から生まれる。先に「インテグレート」などと振りかざす必要はない。結果的に「昇華」されるのである。僕はそう考える。


スポンタさん。あなたには私の声が聞こえていない。というより、あなたは誰の声も聞こうとせず、ただ自分が自分に向けて語る声しか聞こうとしていない。私はあなたの書く記事を実はかなり読み続けてきた。室井さんとの一件も知っている。昔のライブドアニュースでの出来事も概ねフォローしている。


その前提から言うけれど、あなたの考察の大半は空回りである。この「空回り」を「孤高の美学」として甘受し、開き直り続けるなら、誰もあなたについていかない。


あなたは、「誰からも理解されない」ことの上に自らあぐらを書いているように、私には思える。


個別の問題に対して、あなたの空を掴むような抽象的言語を超えてコミットしてもらいたい。今炎上しようとしている「オーマイニュース」であれ、どこであれ、人々は余裕がなく眼下の問題に救いを求めている。市民参加ジャーナリズムの、あなたの概念先行の空想的ユートピアをあなたと論じ合っている暇はないのだ。みな一杯一杯なのである。


「インテグレート」などと何度も何度もつぶやき、「幻想の市民参加ジャーナリズム」などと嘯いている暇は、あなたにも私達にも1秒たりとももないはずだ。



地に足をつけて一歩踏み出していただきたい。