ことのは周辺における沈黙の意味あるいは効用についてあるいはゴミの山について

と少し小難しいタイトルにしてみたけれど、なに大した話ではないから。


昔から沈黙することが苦手なほうである。


勤めていたとき、社長に説教されると沈黙する向きが多い中にあって、うつむいて話を聞きながら、しかしメモをとっていた。30分ほどの説教が終わると、「よろしいですか?」と相手の話の終了を確認して、そこからがもう30分。
「まず最初の点ですが、それにつきましては云々かんぬん。次に2番目ですがこれは云々かんぬん」

ある種の感性によればこれは「言い訳」にも聞こえるんだな。こっちにしてみれば反論なのだが。




で、何だっけ。そうそう、沈黙の話。

沈黙するブログが多くなっている現在、沈黙することの効用というのは何かあるのだろうかという素朴な疑問なんだけれど、具体的に言ってしまうと、



●更新もコメントも返さなくなってしまったGripBlog(泉さん的に不適切な書き込みへの対応はしているらしい)
●同じくコメントを一切返さない湯川さんの裏表。(裏は完全沈黙でゴミ箱状態。表は淡々と記事だけ更新されてコメントは放置。トリルさんの大阪の道場がどうとかこうとかちょっと物騒なやつも放置)
●コメント欄を閉鎖している歌田ブログ。
(面倒くさいからリンクはいちいちしない)

等々。

※沈黙といえば松永さんの諸サイトもそうだけれど、これは病気による可能性もあるからちょっと別口であろう。復帰行為とのタイミングもあるし。



で、話を戻すけれど、これだけ「墓標」のような塔を、放置していること自体が僕などには理解しがたいことで、ある意味いっそ放置するくらいなら閉鎖してしまえばいいのにと思う。なんかやじゃない。どんどんSPAMとかで汚れるし、延々と長文書き込む人とかいるし。(いや制御されていれば別に長文でもいいと思うが無政府状態になっちゃうでしょ)

そもそも何で沈黙しているのか、簡単な問いかけにも返さないのかと言い出すと、それがこの件の根本でしょう。今更何を言っているのかという風になっちゃうのでそれを置いておくにしても、こうした「墓標」を閉鎖せずに残すことで、何か良いことがあるのでしょうかね? 運営者にとって。

いや沈黙の効用はどこかにあるのかな?喋らないことが勝ちだぞとか、ほっておくことが最終勝利へのショートカットだぞとか、世界が喧騒に満ちているのでせめて自分だけは黙りたいとか、べらべらしゃべる人間は信用されないぞとか。不肖自分には想像もつかない理由が、そういう行為をする人たちにはあるのかな。あるんでしょう。


たとえばGripBlogはあれで少しは泉さんの営業の足しになっているのか知らん。あの状態でアーカイブをとっておくことで、仕事上のメリットでもあるのだろうか。それとも泉さんの最後の誠意なのか、何だかよくわからないというか、湯川さんの場合など、「ゴミを捨てられない女達」っていう特集が昔雑誌にあって、1ケ月分くらいのゴミで部屋の天井まで山ができている一人暮らしの女性の部屋ばかりが、延々と紹介されている特集があったんだけれど、あれを思い出してしまう。


あ、また私ひどかったかな。ごめんね。



で、このあたりになると、お前だって一部の問題に沈黙しているのではないかという人も、世界のどこかに必ずいそうな悪い予感があるので、沈黙の嫌いな僕は一応しゃべっておきますが、


言うぞ。


言うぞ。


僕はね、ゴミ捨て場で立ち話はしたくないんだよ。これは生理的な美意識の問題。



この点、R30さんあたりには、近しいものを感じるのだけれど違うかね。
まいいけど。



世界が沈黙し停滞したからといって、それが何ほどのものであろうか。





ゴミもいつか誰かが片付けに来るだろう。